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新聞等に見つけたいくつかの Queen 関連の記事です

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1985年5月

待望の1stソロ・アルバム遂に完成!
フレディ・マーキュリー MR.バッド・ガイ
クイーンのヴォーカリストとして13年間スーパースターの名をほしいままにしているフレディの
初ソロ・アルバム。彼の妖しい魅力が、圧巻のサウンドとともに聴く者を戦慄させる。
LP・CA各\2,800

6月1日発売 予約受付中
★初回特典:LPジャケット・サイズ・オリジナル・カラー・ピンナップ3点封入。
(カセット:カラー・カード封入)
第1弾シングル ボーン・トゥ・ラブユー \700●絶賛発売中


1985年5月

余裕みられる美意識の権化
最後の来日?クイーン
 今年の1月、ブラジルの「ロック・イン・リオ・フェスティバル」では、30万人の聴衆を集めて
話題になったクイーンが、2年半ぶり6度目の日本ツアー中。東京公演の初日を見た。
 LP「ザ・ワークス」をイメージさせる歯車のセットやコンピューター連動の照明群がます目をうばう。
しかしクイーンのライブの魅力は、なんといってもドラマチックな美学にある。
美を伝道するために生まれついたようなフレディ・マーキュリーがその焦点だ。
 マイクを手に、透明感のあるカン高いボーカルを朗々とうたいあげるポーズばかりでなく、
曲が終わって水を飲むときやタオルで汗をふく動作まで、彼の姿にはまったくスキというものがない。
 努力して完ぺきに見せよう、演じようとしているというより、いったん舞台に上がると、
肉体が反射的に美意識の権化と化してしまうふうなのである。
 途中から上半身の服を脱いでたくましい胸を見せるが、その肉体は、たくましいと同時に、
中性的かつ幻想的な妖しさもたたえている。
 かつては他のメンバーも、フレディに負けず劣らず緊張感のあるドラマチックな美の演出を競っていた。
しかし今回は姿も音も、どこかくつろぎと余裕の感じられるステージだった。
 第三世界の人々の飢えに注意をうながす「イズ・ジス・ザ・ワールド・ウィ・クリエイテッド」など
社会性ある歌もまじえ、10数年にわたる活動から生まれたヒット曲を次々に織り込んだ演奏に、
会場のファンは大合唱でこたえる。特に大幅にアレンジを変えた「ナウ・アイム・ヒア」や
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など昔の曲の盛り上がりが目立った。ハードロック・ブームのせいか、
いつになく男性客の割合が多いのも、今年のコンサートの特徴である。公演はこのツアーで最後との
うわさもあるが、これだけ美しいステージが見られなくなるとすれば、残念という気がしてならない。
(北中 正和)


1991年11月25日 夕刊

エイズを告白 クイーンで人気
マーキュリー氏死去
【ロンドン25日=ロイター】英国のロックバンド「クイーン」のリードボーカルで、23日に自らが
エイズ(後天性免疫不全症候群)であると声明したばかりのフレディ・マーキュリーさん(45)
=写真はロイター=が、24日夕死去した。事務所から出された声明によると、マーキュリーさんは
ロンドン・ケンジントンの自宅で、安らかに死去したという。

マーキュリーさんは本名フレデリック・バルサラ。1946年、アフリカ東海岸沖のザンジバルで生まれた。
71年、4人組の「クイーン」を結成、「ボヘミアン・ラプソディ」「伝説のチャンピオン」などで
世界的な人気を得た。6度の来日公演で、その透明感のある高い声のボーカル、スキなく演じられる
動きなどを見せて人気が高かった。


2002年9月4日 朝刊

時代を超える“怪人”フレディ
漫画キャラにも■喜劇的で悲劇的

その妖声、その華麗なる姿態、その悪趣味スレスレのけばけばしさ。英ロックバンド、クイーンの
ボーカリストだったフレディ・マーキュリーが、没後10年余を経た今でも話題を提供し続けている。
ロックの枠を超えた、この喜劇的にして悲劇的な魂は、永遠にエネルギーを放射し続けるかのようだ。
(米原 範彦)

 荒唐無稽(こうとうむけい)なキャラクターでにぎわう野中英次の人気マンガ「魁!!(さきがけ)クロマティ高校」。
今年の講談社漫画賞を受けたこの作品には、フレディを連想させる謎の高校生?が登場する。その名も「フレディ」。
胸毛、口ひげ、殺気を帯びた目つき、理解不能な挙動などで読者を大いに笑わせる。
 初夏にロンドンで開幕したミュージカル「ウィー・ウィル・ロック・ユー」は、クイーンの曲をちりばめて話題となり、
モダンバレエのモーリス・ベジャールも、フレディを意識した「バレエ・フォー・ライフ」を4月に日本で再演した。
ベスト盤のDVD化も間もなく始まる予定だ。「クイーンのベストは、ビートルズと並んで確実に売れる」(東芝EMI)
との定評がある。
 フレディは46年、アフリカのザンジバル(現タンザニア)に生まれた。本名フレデリック・バルサラ。
73年デビューのクイーンを生涯、先導し、エイズによるカリニ肺炎のため91年11月24日、45歳で死亡した。
晩年のファンには想像しにくいだろうが、「華麗なるレース」(76年)まで、ほっそりした身体に、悪魔か妖精
(ようせい)にでも魅入られたかのようなコスチュームをまとい、倒錯的ムードを強調していた。歌も、高音部を
思い切り響かせるファルセット唱法。
 この頃、音楽専門誌「ミュージック・ライフ」(現在は休刊)の年間人気投票で、常にボーカル部門1位。当時、
同誌の編集者だった音楽評論家の東郷かおる子さんは言う。「妖(あや)しく耽美(たんび)的で、少女マンガの
きらびやかなイメージが人気の理由だった」
 が、70年代後半、パンクロックが台頭すると格好の攻撃対象となった。クイーンは米国に本拠地を移し、ヒット曲
「伝説のチャンピオン」が収録された「世界に捧ぐ」を、77年に発表する。
 このころから、ごつく、男臭いエンターテイナーと化していく。「クロマティ高校」に登場するのはこちら。
半ば喜劇の主人公としての再生。
 しかし、喜劇性は、初期の耽美的ムード、音楽性の高さとのギャップゆえに際立ったものに違いない。死の影が忍び寄る
「イニュエンドウ」(91年)では、切なくなるほどの絶唱を聞かせた。
希代の歌声に今なお多くの人が心酔している。
 99年秋に公表された英国の約60万人による人気投票で「過去千年間最高のバンド」はビートルズに譲ったものの、
クイーンが、ローリング・ストーンズを抑えて堂々の2位。ベストソングに代表作の一つ「ボヘミアン・ラプソディー」
(75年)が選ばれた。今年6月のエリザベス女王即位50周年の記念コンサートで取り上げられた曲数でも、
ビートルズに肉薄した。
 「フレディは剣の切っ先に立った、ぎりぎりの美意識を持っていた。まじめなアーティストなら、これに自然と反応
してしまうんでしょう」と東郷さんはみる。
 「だれもフレディになれない。年を重ねるごとにその思いが強くなる」と音楽評論家で無類のクイーンファンでもある
今泉圭姫子さんはいう。
 悲劇と喜劇、高貴と俗悪。これら両価がせめぎ合うところに身をさらしたがゆえに、フレディは孤高の輝きで多くの
人々をとりこにし続けていくのだろう。


2002年11月1日 夕刊

クイーン、殿堂だ
 英国の人気ロックグループ、クイーンがこのほど、ハリウッドの映画スターたちを記念している歩道
「ウォーク・オブ・フェーム」に名前を刻んで殿堂入りを果たし、埋め込まれた星形のブロンズを披露
する式典が行われた。

 式典には、メンバーのブライアン・メイさん写真右、AP=とロジャー・テーラーさん同左
の2人が出席。詰めかけた約500人のファンを前に、「殿堂入りは夢だった。僕たちのことを覚えていて
くれてありがとう」「ここに自分の子どもたちを連れて来るのを楽しみにしている」と感激の言葉を
おくった。

 クイーンは70年代始めにデビュー。これまでに世界で700回以上のコンサートを開き、「ウィ・
ウィル・ロック・ユー」や「ボヘミアン・ラプソディー」などのヒット曲が広く親しまれてきた。
(ロサンゼルス)


2003年7月18日 夕刊

ロックの星躍動
ミック・ロック写真展
 ニューヨーク在住の英国人写真家、ミック・ロックさん(54)の写真展
「ROCK'N'ROLL EYE」(朝日新聞社主催)が18日、東京・恵比寿ガーデンプレイスにある都写真美術館
で始まった=写真。

 デビッド・ボウイやクイーンなどロックスターの肖像を中心に約200点で、中には横約6メートル、
縦4メートルの掛け軸も展示されている。

 開幕に訪れたミックさんは最も気に入っているというクイーンのフレディ・マーキュリーの写真の
前でおどけたポーズを取り、「日本に初めて来たが、街にあふれる色の使い方などを見て、どうして
クイーンやデビッド・ボウイが世界で最も早く日本で人気が出たかわかった」と話した。
8月28日まで。


2004年3月1日 夕刊

勝手に首都圏データベース
クイーン
高貴に珍妙に走り去る
 クイーンが乗っている。キムタク・ドラマはきっかけに過ぎない。
世代、時代を超える、この祝福されしサウンドよ!(米原範彦)

 英国の4人組ロックバンド、クイーンは、こよなく日本を愛した。
 73年のデビュー当初から、日本の少女らが、世界に先駆けて彼らを見いだしたからなのだろう。
特にヴォーカルのフレディ・マーキュリー(91年、エイズが原因で45歳で死去)の思いは深かった。
 来日は75〜86年に公演で6回、私用で1回。骨董品店をよく回り、85年には東京・日本橋の老舗「はいばら」を訪ねた。
ロンドンにあるエドワード朝風の豪邸を飾る壁紙を求めに来たのだった。
金箔模様の薄桃と薄緑の鳥の子紙、約100万円分を購入。
多くの貴顕客を知る番頭の星野昌弘さん(66)は「正真正銘の紳士でした」という。
 7回ともボディーガードをした伊丹久夫・東京パトロール社長(57)は「良品に会うと、少女みたいに胸に手を当て
目を見開いていた」。
 もとはゾロアスター教を信じるペルシャ系インド人とされるフレディ。
曲想は妖しく奇異で、身体の隅々まで張り巡らされた美意識は痛いほどだった。
「フレちゃんにふさわしい人を目指し、常に正装。皆でテーブルマナーも学んだ」と勝山かほるさん(39)。
 高貴にして「珍妙」なフレディは、クラシック演奏家も感服させた。
その果実が、88年にソプラノ歌手モンセラート・カバリエと共作したアルバム「バルセロナ」。
まさに「伝説のチャンピオン」となった絶頂期、日本語詩が混在する曲「ラ・ジャポネーズ」で、フレディは日本にこう歌いかけた。
「忠実な友、守護天使よ/この間ずっと…迎え入れ…信じてくれた、最後まで」

ちょっと小耳に
「5回も来たわよ」 ベスト盤100万枚に

■東京都調布市のミズノフットサルプラザ調布はプレー中にクイーンがかかって「プライド」気分(小金井市 会社員 35歳)
新宿2丁目にフレディ行きつけのゲイバーがある(三鷹市 製造業 39歳)←「九州男」(くすお)です。ママの松ちゃんは
 「5回来た。カウンターで酔って好きな歌を歌い合った」(編集部)
■ロンドンの地下鉄ウェンブリーパーク駅近くのMoulin Cafeは壁一面にクイーンのポスターやイラストが(栃木県足利市 自営業 37歳)
■記者から
 1)日本独自のベスト盤「クイーン ジュエルズ」(東芝EMI)は売り上げ3週連続1位(オリコン調べ)で100万枚に達する勢い
 2)別冊宝島「クイーンを聴け!」でROYさんがフレディなりきり術を披露
 3)クイーン感謝祭が14日午後、東京・渋谷のDUO MUSIC EXCHANGEである。コピーバンドGueenの演奏、仮装大賞など
 4)70年代の来日時、フレディは九州でストリップを鑑賞、「パンツヌイデ」という日本語を覚えたらしい。
  招き猫などネコの焼き物収集に凝った時期も。

1都6県の300人に聞きました
・クイーンの魅力は?

繊細華麗なメロディーライン 43%
妖しいまでの高い声 24%
ゴージャスなパフォーマンス 14%
分厚いコーラス 12%
ナルシスティックな歌詞 7%

(写真キャプション)
まさか、こんな光景では……フレディになり続けているROYさんと、
鳥の子紙を持つ星野さん=日本橋の「はいばら」で、吉沢良太撮影


2004年3月16日 夕刊

クイーンに感謝
ファンら千人集う
 ドラマやCMの曲で人気が再燃した英国のロックバンド「クイーン」。
1月発売のベスト盤「クイーン・ジュエルズ」が100万枚を突破したのを記念して14日、東京・渋谷の
ライブスペースで「クイーン感謝祭」が開かれた。

 集まったのは、リアルタイムで聞いていた世代から、そんな親に連れられてきた子供達まで、抽選で
選ばれた約千人。
元メンバーのブライアン・メイから「数十年前、僕達は君たちのご両親と恋をした。今度は君たちと恋を
する番だね」とのビデオメッセージが寄せられると、会場の一体感は最高潮に。

 「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユー」「レディオ・ガ・ガ」と繰り出される映像や、コピーバン
ドのグィーンが演奏する「ウィー・ウィル・ロック・ユー」に合わせて拳を突き出して合唱し、往年の名
曲を満喫していた。


(写真キャプション)
オペラ歌手の錦織健(右)と劇団☆新感線の右近健一もファンを代表して熱唱


2004年3月18日 夕刊

クイーン再ブーム
鑑賞より参加 1000人が大合唱

 人気ドラマでの起用を機に国内で再ブームとなっている英国ロックバンド「クイーン」の宣伝担当、
東芝EMIの深沢伊津子さん(34)が企画した「クイーン感謝祭」が東京・渋谷であった。

 ベストアルバム「ジュエルズ」が発売後1ヶ月で100万枚を突破した記念イベント。「鑑賞するより
『参加』したくなるのがクイーン」と、歌詞の字幕を入れたヒット曲のビデオを用意。10倍の倍率から
チケットを入手した招待客千人が大合唱に酔った。エイズで亡くなったボーカル、フレディの遺志による
基金への寄付も募集。「世代を越えてクイーンの足跡を感じでもらえたらうれしいです」(高橋万見子)


2004年6月1日 夕刊

クイーンの日々
音楽誌から再現

 日本で人気が再燃している伝説的ロックバンド、クイーン。カリスマ性あふれる4人のメンバーに
デビュー時からインタビューを重ねてきた音楽専門誌「ミュージック・ライフ」の元編集長で音楽
評論家の東郷かおる子が、「クイーン オブ ザ デイ〜クイーンと過ごした輝ける日々」(扶桑社)
写真=を出版した。

 インタビュー記事や公演リポートを、隠れたエピソードなどをまじえて雑誌掲載時のまま再現した。
日本を足がかりに世界的なカリスマバンドとなっていった4人の心情の機微が、当時の筆者の興奮と
ともによみがえる。

1600円(税抜き)。


2004年11月26日 夕刊

エイズ問題啓発へ協力
ロンドンで25日、エイズ問題啓発の写真集「46664」を手に、ロックバンド「クイーン」のメンバーらと
記念写真におさまるネルソン・マンデラ前アフリカ大統領(左から3人目)。「46664」はマンデラ氏の囚人
番号で、エイズ撲滅キャンペーンのために開かれたコンサートの模様などが掲載されている=ロイター


2005年1月20日 朝刊

QUEEN JEWLES II
(注)スペルが間違っている↑
ミリオン・セラーを記録した大ヒット・アルバム「JEWELS」第2弾!クイーンを知るに欠かせない
16の名曲を収録した最新ベスト・アルバム!
1/26 ON SALE

バイシクル・レース/ブレイク・フリー/ラヴ・オブ・マイ・ライフ/炎のロックン・ロール/
手をとりあって(ハイ・ディフィニション・ミックス2005)/他全16曲

★ライヴ映像2曲収録(CD EXTRA)
★24ビット・デジタル・リマスタリング
TOCP-67530 \2,548(tax in)

TOSHIBA-EMI LIMITED
東芝イーエムアイの新譜情報は、インターネット「TO MAKE IT!」でごらんになれます。
URL http://www.toshiba-emi.co.jp


2005年2月3日 朝刊

不惑が惑うフレディ節
快進撃続くクイーン
 英国のロックバンド、クイーンの快進撃が止まらない。去年発売のベスト盤が150万枚を越す
売り上げを記録し、第2弾も好調。ほかにもミュージカルやら再結成ライブやら……。中心メン
バーが死去して10年以上たつバンドの周辺が騒がしくなっている。 (近藤康太郎)

 1月26日に発売された「ジュエルズII」(東芝EMI)はクイーンのベスト第2弾。オリコンの
チャートでは初登場で洋楽の1位となった。先行したベスト盤「ジュエルズ」は150万枚を越す。
昨年の洋楽部門で1位だ。

 クイーンは73年に「戦慄の王女」でデビュー。中心メンバーだったボーカルのフレディー・
マーキュリーは91年、45歳で早世している。しかしバンド自体は解散しておらず、残りの
メンバーは折にふれクイーン名義で演奏していた。

 そうした中、今年は"再結成"ライブが始まる。ギターのブライアン・メイとドラムスのロジャー
・テイラーが、ボーカルに元フリーのポール・ロジャーズを迎え、ロンドン、パリなどを巡回する。
来日予定はないが、「日本での突然の人気復活をメンバーは十分承知している。サプライズがある
かも」(東芝EMI)と気をもたせる。

 5月27日からは、新宿コマ劇場で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の公演も決まった。メンバー
が監修したロックミュージカル。表題作を始め「ボヘミアン・ラプソディ」など大ヒット曲を挿入
している。本国では「単に出来が悪いのではない。トラウマとして残るほど悪い」(ガーディアン紙)
などと評論家に酷評されたが、300万人以上を動員したというから観客にはアピールしたらしい。

 ミュージカルは未見だが、評論家に受けが悪いところがいかにもクイーンらしいと微苦笑して
しまった。デビュー当時も、評論家や"硬派"なロックファンからは軽んじられた。メンバー全員が
貴公子然として、おとぎ話から抜け出たようなスタイル。ロックの反骨・反逆イメージとは逆を
いっていた。

 本国よりむしろ日本で最初に人気が沸騰した。人気曲「手をとりあって」に日本語歌詞が交じる
のはメンバーの「感謝の念」だ。ブライアンも「日本のファンはどの国よりも真っ先にクイーンを
スターとして扱ってくれた。決して忘れません」とコメントしている。

 記者も中学時代、クイーンに熱狂したクチで、当時あったフィルムコンサートに出かけた。スク
リーンにテープが飛び、スターのいない暗闇に歓声が上がる。周囲は女性ばかり。いささか恥ずかし
かったことを思い出す。

 東芝EMIが開いたクイーンのファンサイトに寄せられるメールは、記者と同世代の40歳代前半と、
その子どもの世代にあたるローティーンが、特に目立つという。


(写真キャプション)

[上] クイーンのブライアン・メイ(中央)、ロジャー・テイラー(左)と
ポール・ロジャーズ(右) =04年、ロンドンの特別イベントで
[下]「ジュエルズII」


2005年5月27日 夕刊 (全面広告)

ロック・ミュージカル「WE WILL ROCK YOU」5.26 プレビュー公演リポート
熱狂と興奮のステージ本日開幕!
 本日5月27日から3ヶ月にわたるロングラン公演がスタートするロック・ミュージカル「ウィ・
ウィル・ロック・ユー(特別協賛 東芝)」のプレビュー公演が、昨夜、新宿コマ劇場で行われた。
会場には第1線で活躍するロック・ミュージシャンをはじめ著名人や報道関係者が多数来席。
華やかな会場は、ロンドン、ラスベガスを熱狂させたショーへの期待で満たされた。「ウィ・ウィル
・ロック・ユー」は、いま、全世界的に空前のブームが沸き起こっているQUEENのヒット曲を満載
した、近未来を舞台にしたミュージカル。スペクタクルな舞台演出と、懐かしくも新鮮なヒット
ナンバーの嵐に、鳴りやまない喝采が続いた。

ステージ制作をメンバーが総監修
QUEENのヒット曲を満載


 昨晩5月26日の新宿・歌舞伎町は、セレブリティたちが放つ華やかな空気に包まれた。「ウィ・
ウィル・ロック・ユー」ロンドン公演が長く行われていたドミニオン・シアターがあるトテナムコー
トロード周辺を知る人であれば、相通ずるエネルギーを感じるに違いない。

 あらゆるショーと音楽をその独特の円形舞台の上に乗せてきた新宿コマ劇場。その新しい歴史の
スタートとなるとびきりの作品が、ミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」である。今や伝説
的な存在であるロックグループ、QUEENのナンバーをタイトルに冠したその作品は、20曲あまりの
QUEENの名曲を全編にちりばめながら、まったく新しいストーリーを創造したロック・ミュージカル
だ。

 今年1月12日、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」ロンドン公演は上演1000回を達成。QUEENの
メンバーであり、本公演の実現に構想段階からかかわったブライアン・メイとロジャー・テイラーが
サプライズゲストとして登場し、演奏を披露して全英の話題をさらった。日本でもここ数年、QUEEN
のナンバーがTVドラマやCMに次々使われているが、実はいまQUEENブームは世界的だ。元バッド・
カンパニーのポール・ロジャースをボーカルに迎えた「再結成」ヨーロッパツアーが発表されるなど、
話題はとどまることを知らない。3ヶ月にわたる「ウィ・ウィル・ロック・ユー」日本公演は、
QUEENブームの決定打となるだろう。

 「最高に興奮しています。QUEENの素晴らしい楽曲と共に東京に来られてとてもうれしい」。公演

に先立ち開かれた記者会見で、主人公ガリレオを演じるピーター・マーフィーは語った。「新宿の

エネルギーを僕らももらって、皆さんに満足してもらえるショーをお見せします」。

 期待に包まれたプレビュー公演は、ロック史の歴史的エポックが字幕で次々と紹介されるプロロー

グからスタートした。プレスリー登場、ビートルズのアメリカ上陸、パンクの台頭……。歴史は次第
に原題に近づき、やがて2005年を超え、未来の「史実」を観客に伝える。そこはあらゆる自由を奪
われ、独裁者の下に音楽すらも管理された未来社会。そう、これはQUEENの伝記的な作品ではない。
QUEENのナンバーをストーリー展開に融合させながら、新しい物語を紡いだミュージカルなのだ。

会場に手拍子が渦巻く
歌唱力抜群のキャストたち


 管理会社の鎖を解き放つ、救世主を待ち望む"ボヘミアン"たち。自らが音楽を作り出した時代の、
偉大なる神の化身である。"伝説のギター"が岩の中に眠るという伝説。反逆するロックスピリットを
心に持つ、若者たちの姿を描いたストーリーは、シンプルで力強く、ミュージカルになじみのない
観客にも十分楽しめるものだ。

 冒頭の「レディオ・ガガ」から、「キラー・クイーン」「アンダー・プレッシャー」など、QUEEN
ナンバーはほぼオリジナルの歌詞のままストーリーに巧みに織り込まれ、観客を未体験の世界に引き
こむ。また、物語のテーマには社会的なメッセージが込められているが、ビートルズやストーンズ、
はたまたアバまで、ロックにまつわる"小ネタ"を随所に散りばめた台詞(せりふ)が会場のマニアたち
を笑わせる。

 何より圧倒されるのは、キャストたちの圧倒的な歌唱力と表現力だ。フレディ・マーキュリーの
真似をしてしまえば、彼の強烈な個性に引きずられてしまうところを、それぞれが自分の世界を表現

しながら、ミュージカルナンバーとしてのQUEENを聞かせる。とりわけ、クライマックスの「ウィ・
ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」では、観客の手拍子がこだまとなり、会場を最高潮
にヒートアップさせる。あらゆる音楽の要素が融合した名曲を改めて耳にし、QUEENがもともと持っ
ていたスペクタクルで演劇的な可能性を実感する。

 日本では、昨年発売されたベスト盤「JEWELS」がビートルズの売り上げを抜いて150万枚を突破
し、現在も記録を更新中だ。さらに今年1月には「JEWELS II」が発売され、その人気は世代を越えて
広がっているQUEEN。「ウィ・ウィル・ロック・ユー」は、彼らの音楽と青春を共にしたロック世代
はもちろん、十代、二十代の若者たちにも、ミュージカルという枠を超えてエネルギッシュで新鮮な
感動と興奮を与えるに違いない。

全面リニューアルとなった新宿コマ劇場の場内にはQUEENの資料を多数展示
劇場内に東芝がデジタル製品の体感型ショールームをオープン


 新宿コマ劇場は、本公演の開幕に合わせて全面リニューアルされた。外観はシックな黒一色に塗り
潰され、QUEENのメンバーをバックにした故フレディ・マーキュリー像が出現。さらに新たに設置さ
れた大型ビジョンには、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」に映像が表示される。また、劇場内部も大幅
にリニューアル。青一色でデザインされた1階のグランドブルーカフェでは、「ウィ・ウィル・ロック・
ユー」オリジナルのカクテルや食事を楽しむことができ、赤一色でデザインされた2階のレッドカー
ペットカフェには、フレディ・マーキュリーの衣装など貴重なQUEENの資料が展示されたミュージアム
を楽しむことができる。

 さらに「ウィ・ウィル・ロック・ユー」公開期間中は、新宿コマ劇場に設置されるカフェ内に、
東芝のテレビ、パソコン、デジタルオーディオプレーヤーなど、さまざまなデジタルプロダクツを
設置。「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の映像や音楽が自由に楽しめる、体感型ショールームが
展開される。

 これからの映像ネットワーク時代に「映像の東芝」として貢献していくことを発表している東芝
グループは、コンテンツホルダー/プロバイダーとの共生による、新しい映像エンタテインメントの
創造を表明。「ウィ・ウィル・ロック・ユー」とのコラボレーションは、新しいエンタテインメント
とデジタルワールドとの刺激的な融合を実現させている。


2005年6月16日 朝刊

クイーンの真骨頂ここにあり
WE WILL ROCK YOU 評者・斎藤 環 精神科医
 まるでライブ会場だ。総立ちになった観客のシルエットを眺め、思わずそう呟いた。人目もはばからず歓声を上げ、身体を揺らし、拳を
中に突き上げるロック中年たち。自分がその一人であることが、これほど喜ばしい日が来ようとは(4日、新宿コマ劇場)。

 ひとつだけ残念なのは、これが、僕がついに見られなかった、本物のクイーンのライブではない、ということ。そう、ここは武道館ならぬ
コマ劇場。僕が観ているのはクイーンの楽曲だけで構成されたロックミュージカル「WE WILL ROCK YOU」のクライマックス・シーンなので
ある。

 91年11月24日。エイズに倒れたクイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの命日だ。享年45歳。僕自身がその年齢に近づく
につれ、中学以来のアイドルであるクイーンの存在は、ますます肉親のように親しいものになりつつある。

 だからクイーンの楽曲を用いたミュージカルが英国や豪州で成功を収めていると聞いて、僕は素直に喜んだ。ブームに合わせたかのような
クイーン再結成には、さすがに複雑な感慨を抱きはしたけれど。

 そのミュージカルが来日したとあらば、これは見逃すわけにはいかない。物語の舞台は近未来。独裁者キラー・クイーンは、コンピュー
ターによる画一的な音楽で世界を支配し、楽器や作曲を禁止していた。そんな世界になじめない青年ガリレオと少女スカラムーシュは、志を
同じくする若者達に励まされ、伝説の楽器を求めて旅立つ。自由な音楽を鳴らす日のために。

 デジタルで画一的な管理社会にアナログで多様な抵抗の線を引こうというテーマそのものは、映画「マトリックス」でもおなじみだが、
これはまあ「お約束」みたいなもの。日本のファンを意識したギャグもがなりベタだ。

 でも、この「洗練」とはほど遠いわかりやすさこそが、クイーンの真骨頂なのだ。そう考えてみれば、このミュージカルは実に良くできて
いる。数多いクイーンのヒット曲をまんべんなくちりばめて物語化するなら、ドラマはベタなほうが盛り上がる。

 バンドに指揮者がいたのには驚いたが、演奏はスタジオワークにかなり忠実で、俳優たちも難曲を良く歌いこなしていた。ただ、誰が歌っ
ても痛感するのは「誰もフレディの代わりにはなれない」という事実のほうだ。

 重厚で透明、鋭利で伸びやかな彼の声が、とりわけ「Aフラット」("I WAS BORN TO LOVE YOU"の歌い出しで言えば"WAS"の音程)にさし
かかるときに発揮される、魔法のような輝き。あの「Aフラットの不在」こそが、この物語の通奏低音ではなかったか。

 劇場の入り口付近に、フレディの巨大な記念像が立っている。マッチョでフェミニン、下品にして崇高、本物のフェイク、このうえなく
タフで誰よりも脆いひと。そんなフレディの「境界性」は、彼の出自(現タンザニア生まれのインド系イギリス人)からの定めでもあったの
だろうか。

 美輪明宏という最大のファリック・マザー(ペニスのある母親)を戴く私達日本人が、フレディにもそうした魅力を感じたとしても、何の
不思議もない。フレディの「境界性」への憧れは、独占欲とも排他性ともついに無縁だ。「Aフラットの不在」ゆえにクイーンへの愛は、僕
たちを家族のようにする。だから僕は、もう一度コマ劇場に戻ってこよう。そう、次はクイーンファンの彼(彼女)も連れて。

(写真キャプション)
観客のテンションは出演者顔負け=東京・新宿で

さいとう・たまき 61年生まれ。
著書に『ひきこもり文化論』『戦闘美少女の精神分析』『文学の徴候』など。
専門は思春・青年期の精神病理、病跡学。


米独ロでも公演

 ミュージカル「WE WILL ROCK YOU」(監修はクイーンのブライアン・メイ、ロジャー・テイラー)は02年5月、ロンドンのドミニオン・
シアターで初演された。タイトル曲をはじめ「ボヘミアン・ラプソディ」「伝説のチャンピオン」などクイーンのヒット曲を中心に計26曲で
構成。これまで米独ロなど5カ国でも上演され、計約400万人を動員している。豪州キャストによる日本公演は5月27日に始まり、連日盛況だ。
4月、劇場の外壁に、右手を高らかにかかげたフレディ・マーキュリー像が建設された。期間中、歌舞伎町活性化の使命を帯びて、フレディ像
が繁華街を睥睨(へいげい)する。

 【公演日程】8月24日まで=東京・新宿コマ劇場。「WE WILL ROCK YOU」日本公演事務局(03・5457・3556)


2005年9月16日 夕刊 (全面広告・白黒)

伝統を胸に刻み フレディの魂と共に…届け大合唱!
20年振り。QUEEN日本公演!
ポール・ロジャースを迎え甦る永遠の名曲の数々。
いよいよ20年ぶりの日本公演が迫ってきた!10年ぶりの新作「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」
が早くも大ヒットし、幅広い年代を熱狂の渦に叩き込む新生QUEENのライブは見逃せば後悔は確実!来日
まであと少し!いざ、伝統を胸に刻み、フレディの魂と共に…高らかに名曲を歌おう!!

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 「クイーンがポール・ロジャースをヴォーカリストに加えて、来春より世界ツアーを開始!」クイーン・
ファンにとって、この信じられないようなニュースが飛び込んできたのは昨年暮れのことだ。やがて年が
明け、今年の3月19日、南アフリカ公演から本当に、「クイーン+ポール・ロジャース」のツアーが幕を
開けた。1991年にヴォーカリストのフレディ・マーキュリーが亡くなって以来、いや正式には'86年以降、
バンドとしての活動を停止していたクイーンが、再びステージに戻って来るとは!そのツアーが、いよいよ
10月に日本でもベールを脱ぐ!クイーンとして最後の日本公演となった'85年以来、なんと20年ぶりの
再会だ。

 ポールとの共演についてブライアン・メイは、こう言う。「フレディの代役を誰かに託すという発想など
考えてもいなかったから、再びクイーンとしてツアーに立つなんて思ってもいなかった。でも、フレディの
代わりを務めようなんて、これっぽっちも思っていない男に出会った。フレディとは似ても似つかない男、
ポール・ロジャースさ。彼となら一緒にできる。クイーンの曲に新しい意味合いを持たせることもできると
考えた」

 ロジャー・テイラーもこう言う。「彼は、すべてを自分の方向へと昇華させていくヴォーカリストだ。
それに多くのシンガーに影響を与えた偉大なミュージシャンのひとりだ。彼と一緒にできることを心から
うれしく思う」

 そもそものきっかけは昨年('04年)9月に行われた「フェンダー・ストラトキャスター50周年記念コン
サート」でブライアンとポールが共演する機会があったことだという。よほど相性が良かったのだろう。
2人は、この共演で意気投合し、その後、トントン拍子でツアーの企画が実現したのだそうだ。その初共演
で演奏したのはポールが'68年から'71年まで在籍していたブルース・ロック・バンド、フリーの'71年の
大ヒット・ナンバー「オールライト・ナウ」だった。クイーンの曲ではなかったことが、かえって良い方向
に作用したと思われる。

 ブライアンもロジャーも、今回のような大規模なツアーは'86年以来のことだ。ライヴだけが放つ、あの
独特のエキサイトメントの中に再び身を投じたいというミュージシャンとしての願望が最終的に、ツアー
活動再開への最大の要因であったと思う。また、そんな彼等の想いを増幅させるような出来事が昨年来から
続いたことも見逃せまい。

 日本ではTVドラマ「プライド」(フジTVにて'04年1月から3月に放映)で「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」
が挿入歌として使用されたことがきっかけでクイーン人気が再燃。アルバム『ジュエルズ』が2月にオリ
コンのアルバム総合チャートで1位を記録し、100万枚以上のベスト・セラーとなった。クイーンを知ら
ない世代も巻き込んでの劇的な復活だった。さらにイギリスでも、ブライアンとロジャーが監修し、
クイーンの曲を使用したロック・ミュージカル「WE WILL ROCK YOU」が'03年の開幕以来、大評判を呼び、
'04年1月には1000回目の記念公演が行われた。このミュージカルは、その後、今年の夏に日本にも上陸
して、多くの観客を動員した。多くのファンがクイーンを愛し続けているという確信が、彼等にステージに
戻る勇気を与えたのだろう。

 ロック黄金期と言われる'70年代にイギリスから登場したクイーンは世界中で人気を不動のものとして
ロック史に名を刻む存在となった。さらに忘れてならないのは本国でも、まだ無名に等しかった'70年代に、
世界に先駆けて日本で人気が爆発した希有なバンドであるという事実だ。'75年4月の初来日公演での大
騒動は、今でも業界の語り草となっている。まだ20代前半だったメンバー達にとっても未知の国、日本
での予想だにしなかった熱狂的な歓迎には、喜びより戸惑いの方が大きかったそうだ。彼等のように、
その後、日本市場での成功を足掛かりに、世界に羽ばたいていったバンドが幾つかあることを考えると、
クイーンの日本での成功は音楽市場としての日本を世界に知らしめる役割も果たしたのだと、今さらなが
ら思う。クイーンにとって日本のファンが常に「特別」であり続けたように、日本のファンにとっても
クイーンは「特別」なバンドであり続けた。

 だからこそ、今回のポール・ロジャースとのツアーに複雑な想いを抱くファンがいることも、私には
理解できる。希代のエンターテイナーであり、バンドのイメージを代表したフレディのいないクイーン
などあり得るのだろうか?という不安はもっともだ。だが、巷で騒がれている「クイーン再結成!」と
いう単純な掛け声と、今回のポール・ロジャースとの共演ツアーは、少し意味合いが違うように私には
思える。正直言って私も、当初はクイーンとポール・ロジャースという組み合わせに多少の違和感を持っ
たひとりだった。

 だが、今月発売された、ツアーのライヴ盤『リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ』(東芝EMI)を聴い
て考えが変わった。そこで聴けるのは確かにクイーンの代表曲の数々だが、それが単なる「クイーンもどき」
の陳腐なアルバムにならなかったのは、ポールがあくまでも自分のスタイルを貫いた点にある。クイーンの
ナンバーの中でも、ひときわファンキーな「地獄へ道づれ」など、彼の本領であるソウルフルな持ち味が
発揮されて新鮮だ。

 3月から始まったイギリス〜ヨーロッパ・ツアーは5月までに各地をまわり、7月に再びポルトガルの
リスボンで再開。同月の15日にロンドン、ハイド・パークで8万人以上のファンを集めて終了した。この
屋外ライブは当初8日に予定されていたがロンドンでの爆破テロの余波で延期されたもので、テロ発生時に
活躍した警察や消防関係者5,000人を無料招待したという。また、『リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ』
のCDに続き、同じイギリス、シェフィールド公演を収録したDVDも来日公演初日の10月26日に発売される
予定だ。さらにアメリカではハリウッド・レコードから、すでに発売されているクイーンのトリビュート・
アルバム『KILLER QUEENトリビュート・トゥ・クイーン』が10月19日に発売を控えている。話題の天才
ティーンエイジ・シンガー、ジョス・ストーンが歌う「アンダー・プレッシャー」に乞うご期待!

 今回のツアーはブライアンとロジャーが、ポール・ロジャースという実力あるヴォーカリストを得た、
ミュージシャンとしての「夢の続き」なのだと思う。そう、だから間もなく幕を明ける日本公演では、
ファンも彼等と一緒にその「夢の続き」を楽しめばいい。きっと、とび切りゴージャスでパワフルなロック
の醍醐味が味わえるに違いない。 (東郷かおる子)


2005年10月13日 夕刊 (全面広告・カラー)

伝統を胸に刻み フレディの魂と共に…届け大合唱!
20年ぶり!QUEEN日本公演いよいよ開幕!
ポール・ロジャースを迎え甦る永遠の名曲の数々。
いよいよ20年ぶりの日本公演が迫ってきた!10年ぶりの最新作「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」、
早くも大ヒット、ライブDVDの日本公演初日発売が決定!幅広い年代を熱狂の渦に叩き込む新生QUEENの
ライブは見逃せば後悔は確実!来日まであと少し!
いざ、伝統を胸に刻み、フレディの魂と共に…高らかに名曲を歌おう!!

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 「クイーン+ポール・ロジャース」の日本公演が、いよいよ目前に迫ってきた。デビュー当時からファン
も、また彼等の現役時代を知らない新しいファンも、今、心をときめかせて「その日」を待っていることと
思う。TVドラマ「プライド」で「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が使用されたことで巻き起こった、昨年の
クイーン人気の劇的な復活以来、待ち望まれた日本公演が現実となるのだ。

 今回のツアーは昨年末、まったく唐突とも思えるタイミングで発表され、多くのファンに期待と興奮を、
そして少なからず戸惑いも覚えさせたはずだ。ブライアン・メイとポール・ロジャースの、昨年のステージ
でのセッションに端を発した今回の顔合わせに驚いたのは、私もファンと同様だった。フリー、バッド・
カンパニー等で活躍したポール・ロジャースのヴォーカリストとしての力量には、なんの疑いもなかったが、
ご存じの通り、クイーンにとって不可欠の存在であり、1991年に他界してしまったフレディ・マーキュリー
の唯一無二の個性が、あまりに強烈過ぎるからだ。

 また、クイーンとしてのツアーは1986年を最後に行われておらず、更にその前年('85年)に6度目の
来日公演が行われて以来20年間、クイーンは日本の土を踏んでいない。と言うよりバンド自体の活動を停止
していたのだ。今回の20年振りの日本ツアーが、一体どんなものになるのか、その全貌が明らかになる日が
近づくにつれ、ファンは期待と共に一抹の不安も感じているに違いない。

 クイーンが初めて日本に来たのは1975年4月のことだった。海外アーティストの日本公演が、ようやく
珍しくなくなり始めた時代のことだ。日本でのデビュー・アルバム『戦慄の女王』が発売されたのが'74年
3月。若く無名だった4人のイギリスの若者達が創り出した音楽に、どこよりも早く反応したのが東洋の島国、
日本だった。初来日公演の初日、'74年5月19日の日本武道館での幕開けでオープニングの「ナウ・アイム・
ヒア」(邦題:誘惑のロックン・ロール)のイントロが響き渡った時の熱狂を、私は昨日のことのように覚
えている。そう、その日、間違いなく日本のファンはクイーンと共にロックの時代の扉を開けたのだと思う。

 あれから30年余りの歳月が流れたがクイーンは日本のファンにとって、いつも「特別」なバンドであり続
けた。華麗で壮大、繊細で大胆、悪趣味寸前でバランスを保ったようなエキセントリックなまでに美意識…
他の追従を許さないクイーンだけの世界を代表した希代のエンターテイナー、フレディの死は、だからバンド
の終焉をも意味したはずだ。旧くからのファンが、今回のポール・ロジャースを迎えたツアーに不安と戸惑い
を覚える理由も、そこにある。だからこそあなた達の目と耳で、それを確かめなければならないだろう。その
一方で昨年来のクイーン人気の再燃を支えた新しい世代の、新しいファンにとって今回の日本ツアーは彼等の
魅力を生で体験する絶好の機会になるはずだ。活動を停止した'86年以降の曲をライヴで聴けるのは新旧の
ファン双方にとっても初体験になるだろう。

 また先に行われたヨーロッパ・ツアーでは演奏されていない「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」は、果たして
日本ツアーでは演奏されるのだろうか?ファンならば絶対に観たい、聴きたい、確かめたいことが山ほどある
はずだ。 (東郷かおる子)
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イギリス ライブレポート

 '05年3月28日の英ブリクストン・アカデミーを皮切りに夢にまで見たQueenのツアーが19年ぶりにスタート
した。誰もが予想だにしなかったヴォーカリスト、ポール・ロジャースの起用に、大きな期待と衝撃の入り混じ
る複雑な思いを抱いたファンも少なくはなかっただろう。しかし、ツアーを再開した彼等の勢いは物凄かった。
ヨーロッパ各地で3ヶ月に渡り行われた32公演はすべて完売、各国のメディアはポール・ロジャースを迎えた
新生Queenに大きな賞賛を浴びせ、何よりもファンは20年ものブランクを全く感じさせないパフォーマンスに酔
い知れた。

 そして7月、ヨーロッパ・ツアー最終日をハイド・パークで迎えるためQueenはイギリスに凱旋した。当初8日
に予定されていたライヴはその前日のテロ爆破事件のため1週間延期。

 Queenはこの日テロ事件の際人命救助にあたった救助隊5000人を無料招待していた。夏のロンドンの夜は長い。
まだ陽も高い8:10PM、ハイド・パークを埋め尽くす8万人以上の観客の前に、彼等が現れた。『リーチング・
アウト』のイントロから『タイ・ユア・マザー・ダウン』になだれ込むオープニングが始まると観客の熱気は
一気に爆発し、ステージと観客が一体となった会場では、『ブレイク・フリー』『地獄へ道連れ』『愛という名
の欲望』などの名曲が次々と演奏されていく。その完成度の高さと迫力は、"かつてのQueen"や"フレディ"への
ノスタルジックな気分を呼び起こす隙を全く与えない。ポールのブルージーな歌声と自信に満ちたパフォーマンス
はあっという間に観客を魅了した。そして、ブライアンとロジャーの演奏は泣きたくなるほどそのままだ。ライヴ
の中盤ブライアンが"特別な夜にこの曲を"とジョン・レノンの名曲『イマジン』を歌い始めた。ロジャー、ポール
そしてすべての観客も加わり平和への祈りの歌が会場内に響き渡った。(この映像は10月26日発売のDVD
「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」にボーナストラックとして収録されている)ロジャーがヴォーカルを
担当した『輝ける日々』ではバック・スクリーンに'75年初来日時の愛しいほど瑞々しい彼等の映像が流れる。
(来日公演では必見だ!)観客の熱気が最高潮に達したころ、スクリーンにピアノを弾き語るフレディが現れた。
フレディに寄り添うように演奏を始めるブライアンとロジャー。誰もが待ちに待ったロック史上最高の名曲
『ボヘミアン・ラプソディ』だ。ロック・パートで、ポールが登場、フレディの魂と共にそこにいるすべての人
が大きな感動を共有した素晴らしい瞬間が会場を包み込んだ。ラストを飾る『ウィ・ウィル・ロック・ユー』と
『伝説のチャンピオン』のメドレーの間で、ブライアンがこう語った。「今日はスペシャル・ゲストを迎えました。
あの悲劇の日からロンドンを救ってくれたのはここにいる救助隊の人たちです。彼等が、本当のチャンピオン
なのです。」『伝説のチャンピオン』の大合唱の後、英国国歌の流れる中、19年ぶりのヨーロッパ・ツアーの幕が
閉じた。

 この日、私が目にしたのは微塵の迷いもないQueenという偉大なスーパー・バンドだった。かつて「最もスタジ
アムが似合うロック・バンド」と呼ばれたQueenが、そこにいた。故フレディ同様、ポールは巨大オーケストラの
指揮者のように何万人というオーディエンスを自由自在に操りそこにいるすべての人によるQueenシンフォニーを
奏でていた。そして、観客はこのオーケストラの一員であることを心から楽しんでいる。

 10月のジャパン・ツアーでは、「日本にゆかりのある曲を演奏したい」とブライアンは語っていた。「30年前
まだ無名だったQueenに大きな夢と自信を与えてくれた日本のファンへの感謝の気持ちは決して忘れない」と。
20年ぶりの公演、本当に楽しみだ。 (東芝EMI 藤村美智子)


2005年10月13日 (少年誌)

Queen、感涙待望の来日公演。
one and only music #39
QUEEN + PAUL RODGERS special interview
ロックの歴史の中で、クイーンが残した偉大なる軌跡については、改めて書き記す必要もないだろう。近年、日本のTVドラマ、CM
等で採用された名曲により、新たなるファンも獲得した彼等の人気は、完全復活を遂げた印象だ。
 フレディ・マーキュリー亡き後、ポール・ロジャースを迎え入れた衝撃のニュースは全世界を駆け巡り、世界中のロック・ファンが
新生クイーンの動向を見守った。そして念願のライブ活動開始。特別な想いで来日を果たすポール、ブライアン、ロジャーの熱が、
再び日本の土で燃え上がる。

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 ークイーン復活を決断させた最大の理由は?
ブライアン・メイ(以下、B)やはりポールの存在だね。僕だって少しは歌えるし、ロジャーだってかなりうまい。
 でもバンドのエネルギーをフォーカスさせていく人は必要で、それが自然にできなければならない。
 ポールとフェンダーの記念フェア・ショーのステージに立った後、ポールとシンシア(ポールの妻)と顔を見合わせて、言葉は
なくても「うん、これはうまくいく」って感覚があった。すぐにロジャーに電話して「こういう可能性を考えてみて。新しいバンド
ってことでね」って言ったんだ。

ロジャー・テイラー(以下、R)僕たちはローリング・ストーンズみたいにずっと活躍し続けているわけではないし、これは純粋な
快楽なんだ。活動を続けているうちにショーの時間も長くなり、演奏も良くなってきた。
 だから日本の皆さんに見せるときは頂上を目指して登っている感じだと思うな。

 ー新生クイーンの手応えは?
B 本当に奇跡だと思う。以前、「またクイーンとしてやらないの?」と聞かれたときはいつも「ノー」と答えていた。奇跡が起き
ない限り、「どうしてフレディがいないのに、いるふりをしてまでやる必要があるんだ?」と思っていた。
 奇跡だというのは、僕たちには歌うことができて、フレディを騙(かた)るようなルートを行く必要のない人がいたこと。
 ポールには彼独自の歴史もあるし、技術もあるし、彼自身の世界を作り上げている。
 その彼の世界と僕たちの世界が、このようにうまくブレンドしたことは幸運だったと思っている。最初にバンドを組むときは人間
関係から始まるよね。
 最初に友達として、人間としてつきあって、その後に芸術的なやりとりが来るという順番さ。

 ー20年ぶりの来日公演ですが、日本のショーだけに考えているパフォーマンスはありますか?
R そうだね。もう20年だねー。日本のみんなのために、特別に何曲か演奏するつもりだよ。僕たちと日本との関係はすごく長い
わけだから当然だよ。
 クイーンをメジャーなバンドとして受け入れてくれた最初の国だったから、日本にはいろいろな思い出があるな。初来日の時に
"東京プリンスの定演で撮った映像"もコンサートに出てくるよ。東京タワーのすぐ近くでお茶会をやったときの映像だよ。僕たちも
はしゃいでた。昔々の映像だけど、いろいろな思い出が甦るよ。僕たちはもうそれほど若くも美しくもないかもしれないけど、演奏
は以前よりうまくなっているからね!

 ー日本で最も印象的だった出来事、エピソードは?
B 最初に浮かぶのは、最初に武道館でプレイしたときのことだね。行く前には皆に、「日本のお客さんは拍手はしてくれるけど、
とても静かだし非常に礼儀正しいから、歓声とかそういうのは期待してはダメだよ」って言われていたんだ。
 ところがステージに上がったら、これまできいたことのないような、すごい叫び声とか金切り声とかが曲の間中ずっと続いている
んだよ。まるでザ・ビートルズになったような気分だった。
 でもあれが僕にとっての初めての日本だった。忘れられないね。日本とは常に特別な関係にあったと思っているよ。
 日本の人たちはいつも僕たちに対して非常に積極的で、非常に優しい。元々人に惜しみなく与える人たちなんだと思う。
 だからそれに応えるために、心の準備が必要なんだ。

R 初めて日本の地を踏んだのは、東京のど真ん中にある(羽田)空港だった。
 そこに降り立ち、何千人もの人たちに出迎えられたのは初めてのことだったし、当時若かった僕たちにとってはすごくエキサイ
ティングだったね。

 ー今後のオリジナル・アルバムの制作と活動を聞かせてください。
B その話はしているし、多分そういうことになると思うよ。
 ポールとロジャーは来年もツアーに出ようと僕を説得しているんだけど、僕の気持ちとしては半々って感じ。
 というのは、僕はスタジオに入りたいから。確かに僕たちには素晴らしい作品があるわけだから、延々と世界中をツアーして
回りたいという気持ちもあるよ。
 ツアーは非常にスリリングだし絶好の機会だから。
 ただ、新曲を作るという、まったく新しい世界もあるから、是非そのうちやってみたいと思っている。
 でも時が経つのは早いし、今では僕の音楽以外に興味を持っていることがたくさんあるから、バランスをとりながらできれば
いいな。できることならね。


2005年11月7日 夕刊

ステージ クイーン+ポール・ロジャース
フレディ慕い、郷愁を娯楽に
 郷愁という名の娯楽。それ以上でも、以下でもなかった。だが、たまにはそれも悪くない。
 ボーカリストのフレディ・マーキュリーが亡くなって14年、しかしクイーンの人気と存在感は増すばかりだ。彼らとともに70年代
英国ロックを盛り上げた実力派ポール・ロジャースをボーカリストに迎え、20年ぶりの来日公演をおこなった(10月29日、横浜アリーナ)。
 フレディのエキセントリックな妖艶さやカリスマティックなオーラはないかわり、豪胆な男臭さや力強く味わい深い表現力をもつポール。
卓抜した歌唱力と個性で楽曲を完全に自分のものにしていたが、無理に自分の色を出すことなく原曲の雰囲気を損なわない。6人編成で分厚く
なった演奏は安定感抜群だ。
 フレディへの敬愛の念がコンサートの随所にあふれ、往時のファンの気持ちを癒していく。初来日のオフステージ映像が流されたり、
フレディの歌唱テープとともに演奏したり。新しい発見も刺激もないが、すべてが優しい。
 中盤、ブライアン・メイが観客の大合唱とともに名曲「ラブ・オブ・マイ・ライフ」を弾き語るうち、感極まって涙ぐむ場面も。世界中で
真っ先にクイーンを認めた国・日本で、胸によぎるものがあったのだろう。気づけば観客も泣いている。「ラブ・オブ・マイ・ライフ」、
そして彼らが日本のファンのために日本語歌詞で作った「手をとりあって」と、すれっからしの職業ライターである筆者にも、こみあげる
ものがあった。
 ただ演奏の素晴らしさに感動しただけではない。観客はクイーンの演奏を通じて、それぞれの若き緑の日々を、帰らない過去を思い懐かしみ
慈しんだのだ。それこそが今回のライブの最大のエンターテインメント性であった。(小野島大・音楽評論家)

(写真キャプション)
ポール・ロジャース(左)とブライアン・メイ=シャノン・ヒギンズ氏撮影



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