【全国ツアー珍道中記】
Uploaded:2005.1.23

← Memorandums のTopへ

2004年 11/20(土)

そもそもこの悪夢の日々はこの日から始まった。11月6日から続いていたNオーケストラによるTバレエ団の東京公演6回と神奈川の学校公演1回を終えて、この日から同オーケストラにてこのバレエ団の全国ツアーが始まる。50数名のメンバーは昼過ぎに新宿に集合し、そこから貸し切りバスで長野県の岡谷に向かう。到着したその日の夜に3時間に及ぶ本番が始まるのだから肩凝りや腰痛のひどい自分でなくてもバスの長距離移動はなかなか辛い物がある。

大型楽器の中でもチェロは業者のトラックでの運搬が出来ずバス車内への持ち込みとなる。その他の楽器も車内の棚に乗らない物は座席に置く事になるので相当数の座席が楽器で埋まる事になる。バスは60人規模程度の大型だとは言え、オーケストラ事務局サイドはあろう事か当初このバス1台での移動を決めていたようで、数日前にその事を偶然知ったメンバー数名が猛烈に抗議、ようやく2台に増やされたそうな。補助席での長旅の後に3時間のバレエを演奏しろと言うのだから有り難くない話しだ。そもそも新宿〜岡谷ならスーパーあずさに乗れば圧倒的に早いし楽なのに。

オーケストラも営利団体なので少しでも事務局の利益を上げる努力をするのは当然。しかし演奏家に対する負担軽減の配慮を忘れては良い演奏は望めないし、延いてはそれがそのままオーケストラへの評価に直結する事は誰の目にも明らかだ。経費削減と演奏家への配慮のバランス感覚を欠いてしまった雇い主の下でのこれからのツアーは相当きつい物になるだろうなと少々気が重くなる。勿論このオーケストラに限った話しではなく、似たような事がいくつかの団体で起きているのが残念だが。

なぜここまで憂鬱な書き出しなのかと言うと、まだまだこれには続きがあるからだ。事務的なミスを含めて本当にまだまだ。

さて、この日は本番を終えてから22時少し前に会場を出発、往路と同じ行程で帰京し東京のホテルで1泊。もともと東京着は午前0時が予定されていてそのまま電車で自宅に帰る事の出来る人は多くはない。従ってここで1泊して翌日の移動に備える訳だ。ちなみに実際にホテルにチェックイン出来たのは予定を大幅に遅れて午前1時だった。東京に住んでいるので都内でホテルに泊まるのは始めてで何だか妙な感じだ。寝付きの悪さも手伝って就寝は3時頃。

11/21(日)

ホテルで朝食をとってチェックアウト。今日の公演地は香川県の高松、飛行機移動だ。ホテル周辺にはJR東京駅を含めていくつかの最寄り駅があるが、乗り換えなしで羽田空港まで行ける事もあって都営浅草線の日本橋まで5分程歩いて乗車。空港に着いて各自事務局の担当者からチェックイン済みの搭乗券を受け取る訳だが、これも何だか妙な話だ。通常なら事前に各自搭乗券が配布されて、好きな時間に自分でチェックインして搭乗口へ向かえば集合時刻に縛られる事なく、しかも受け取った後の空港での無駄な時間を過ごす必要もない。格安の団体券を利用している故のシステムだそうで、些細な事でオーケストラのストレスは溜まって行く。

高松空港からは貸し切りバスでホールに向かう。本番までは少し時間があるので途中今晩宿泊するホテルを経由して、そこでホテルにチェックインするもよし、このままホール入りするもよし、と言う選択肢を与えられたので、ホテルからホールまでは徒歩10分程と言うバスの運転手の言葉もあり、少々痛んで来た肩と腰をほぐしたいのでそこで降りてホテルで一休みする事にした。

トロンボーン奏者の一人と時間を決めてフロントで待ち合わせ、いざ地図を頼りに歩いてみるとホールまでは何と徒歩20分以上。運転手の言葉を鵜呑みにした事を少々後悔しながら瀬戸内海からの強い北風を受けて歩く。10キロ近くある楽器の運搬を前日から業者に任せていたので助かったが、もしこれが楽器を抱えての歩きだったら堪らなかったねと二人で言いながらホールに到着。張った肩と腰をまたほぐし直さなければならないのが馬鹿馬鹿しい。

ちなみにチェロ奏者他の数名は昨日東京に戻らず岡谷に宿泊し、この日の朝電車で岡谷を出発、名古屋〜岡山〜高松と5時間以上に及ぶ電車移動を強いられている。これも恐ろしい話しだ。チェロを飛行機の客室に持ち込めば当然楽器の数だけ座席を確保する必要があり、より経費のかからない移動を強いているのだろう。一体演奏家を何だと思っているのか…。

本番を終えた後20時頃から各セクションのインスペクターとオーケストラの経営者(以下N氏)、事務局のマネージャーをホールの一室に集めて会議が開かれた。これはツアー開始前から計画されていた会議で、トロンボーン・セクションのインスペクターを任されている自分もこれに参加。今回のツアーにおけるいくつかの陳情や、事務局の人事に異動のあった6月以降に起きた多くの問題を指摘する形となったが、果たしてどの程度まで聞き入れられ、今後の改善が期待できるのやら。

会議終了後、ストレス解消にせめて飲みに行くかと気心の知れた数名でホテル近くの居酒屋に集結。愚痴を交えつつ2時間ほど飲んでそろそろお開きかなと言う雰囲気が漂い始めた頃、それまでN氏と弦楽器のインスペクターと3人で飲んでいたと言うマネージャーが入店して来て一緒に飲みたいと突然参加する。さすがに色々言われて反省し今後の前向きな努力でも誓ってくれるのかと思いきや、何のことはない、3人での飲み会の口直しに来たのかつまらないギャグを連発して一人浮いて殆ど無視されている。一体どう言う神経をしているのか。わざわざ我々のストレスを増大させに来たのだろうか。

11/22(月)

公演なしの移動日。翌23日は鹿児島公演なのに高松まで来ておいて一旦帰京だ。往路と同じ復路を取らないと割引がきかないし、滞在費も1日分多くかかってしまうのでここでも負担を強いられる。還暦を超えたホルン奏者はとても堪らんと自腹を切って鹿児島に飛んでしまった。身体の事を第一に考えればそうするのが正解だっただろう。

高松空港でツアー中らしい瀬川瑛子さんとスタッフ、バンドのメンバー達を見かける。バンドのトロンボーン奏者が知人だったので声をかけて二言三言挨拶を交わすものの時間がなく、お互いの状況等は話せず終い。芸能人やバンドマン達も無理な移動やキツい仕事を数知れずこなしているんだろうなと思うが、何しろ報酬が桁違いだ。クラシック業界では売れて富豪になる可能性は限りなくゼロに近い。貧乏暇なしとはこの事か?

羽田空港に昼過ぎに到着して帰宅は14時頃。息子が保育園から帰って来るつかの間の3時間程身体を伸ばし、その後は子守りと家の事に追われて怒濤の1日が終わる。明日もまた朝から飛行機に乗るかと思うとげんなりだ。

11/23(火)

今回のツアー中最大の山場、鹿児島公演。何と日帰りである。しかも飛行機は朝7時20分羽田発、搭乗券を受け取るために出発ロビーに6時50分に集合なので4時半過ぎに起床、5時20分には家を出た。この日の往路はオーケストラの人数分座席が確保できず、半分は別便の9時5分発の飛行機に予め振り分けられていた。運悪く早い方の便に振り分けられた訳だが、遅い便がJALなのに対してこちらの早い便は格安のスカイマーク。これがまた狭い上にヘッドレストの角度が妙で首がかなり痛い。せめてフライト中睡眠を、と思ったがとても眠れるシートではない。

鹿児島空港からホールへは貸し切りバスでの移動だが、バスの台数を減らすために、当初早い便のメンバーは遅い便のメンバーの到着を2時間近く空港で待って一緒にバスに乗り込めと言う指示を出されていた。星の出ているうちに家を出て乗り心地の悪い飛行機に乗せられ、挙げ句に鹿児島空港で2時間近く暇をつぶせと言うのだからオーケストラの怒りが爆発するのは当然だ。数日前の猛烈な抗議によって、ようやく早い便のメンバーはホールまでの路線バスの運賃を支給される事になる。しかし路線バスでの移動は身体に応える。自分を含めて早い便の数名はこの支給を微々たる額の「早朝手当」と捉え、結局空港で時間を潰して貸し切りバスを待つ事に。

そもそもこの状態で良い演奏など望めるはずもなく、ピットに入っているので舞台上のバレエとの関係がどうなっているのかは分からないが、お客さんに違和感を与えている部分もきっと少なからずあるはずだ。プロなんだからどんな状況でもベストの演奏をしろと言われるかも知れないが、演奏家も人間だ。刺されても死ぬなと言われるようなもので当然限界はある。おまけに実は本番中はことごとく指揮者に音楽をぶち壊されているのだから。

東京公演に始まったこのバレエの演目はチャイコフスキーの「白鳥の湖」とアダンの「ジゼル」。ロシア人であるこの指揮者がリハーサル初日に言うには自分の中には常にチャイコフスキーの音楽があるそうだ。それがどんなに素晴らしい物かは知らないが、それとバレエの指揮が出来るかどうかは全く別問題だ。当然一定であるべきテンポの箇所で、まるで指揮者体験コーナーで初めてタクトを持った素人のような棒でオーケストラを混乱に陥れる。どうやら舞台上のバレエの動きに気を取られて安定した棒が振れないようだ。

何とか音楽の流れを崩さないようにと必死に音を出す演奏者も随所でこの指揮者に攪乱させられ、演奏し慣れたはずの曲も各セクションで乱れ、事故も多発して来る。特に危険だと思われる数カ所では出来る限り指揮を無視して自分達でアンサンブルを作って行こうと話し合い何とか形はついて来たが、東京公演初日からこの日でもう10回目の本番になると言うのに未だにオーケストラ全体がまとまる気配もなく、しかも突拍子もない指揮が原因で演奏が崩れた箇所で演奏者を睨みつけるこのロシア人の下で、どうしてこんな思いをしなければならないのかと情けなくなる。これはオーケストラ事務局の無配慮以上にとてつもないストレスだ。

そんなこんなでようやくこの日も本番を終え、終演後貸し切りバスで鹿児島空港へ。この時点でまだ17時半頃なのだが飛行機は格安のスカイマークのため20時20分、観光も許されず何と3時間ほど空港に缶詰状態だ。ところが空港の案内を見てみるとそんなフライトはなく、どうも事務局の単純な記載ミスで実際は20時40分が正解らしい。予定の羽田着の時刻でぎりぎり帰宅出来ると言う人も数人いて、この人達は万一帰宅出来ない場合の羽田空港から自宅までのタクシー代を約束してもらう。しかし事務局側から演奏者側に正式にミスについての謝罪が一切なかった事に数名が爆発、空港ロビーで大いにもめる事になった。

心身共に呆れかえるほど疲れ果てて、帰宅は午前0時頃。3日にも4日にも感じられる1日だった。
11/24(水)

貴重な完全オフ。朝7時半に起きて息子に食事をさせ、保育園に連れて行った後は殆ど寝て過ごす。よほどの事がない限りオフ日にも調整程度の練習は欠かさないようにしているが、この疲労感はよほどの事だ。楽器のケースを開ける事なく1日が終わる。

11/25(木)

朝9時過ぎに家を出てまたまた羽田空港へ。この日の愛媛県松山公演は18時30分開演なのにこの出発の早さは何だろう。実際松山のホテルに着いたのは13時半頃、本番まで5時間もある。大体一昨日九州にいたのに一旦帰京して今日は四国、何だか今自分がどこにいるのか段々訳が分からなくなって来た。一切観光もせず記憶にあるのは空港とホテルとホールぐらいなのだから当然と言えば当然か。

ホールのすぐ側には道後温泉があってそこでゆっくり旅の疲れを取ると言う選択肢もあったが、本番前にリラックスし過ぎてふやけてしまってはまともに音が出せないので断念、3時間ほどホテルで横になる事に。ホテルからホールへは風情たっぷりの路面電車で3駅ほど、久し振りに地方へ来た実感を得た気になる。

終演後一旦ホテルに戻り、21時過ぎから近くの居酒屋にて数名で軽く打ち上げ、就寝。

11/26(金)

移動日、朝7時半にホテルをチェックアウトして貸し切りバスにて松山空港へ。この日はバレエ公演はないのになぜこんなに早い出発なのかと言うと、このNオーケストラの12月4日と5日のオペラのリハーサルがこの日の午後、都内で入っているからだ。何もツアーの途中に入れなくても、とも思うがこればかりは仕方がない。仕事が多いのは有り難い事だ。しかしこのオペラに乗っていないメンバーもいるのに、強制的にオペラ組と一緒に朝早く帰京させられると言うのも気の毒な話しだ。

実はこのツアーで使っている楽器は自分の楽器ではなく楽器店の商品だ。8年ほど使った自分の楽器がこの9月頃に限界を迎え、それから新しい楽器を探すために1本につき1週間ほど楽器店から良さそうな楽器を借りては返し、また良い楽器が現れるのを待つと言う事を繰り返し、5本目のこの楽器をこのツアー中で試させてもらっている訳だ。今までにない好感触だったので、ツアー終了時に購入決定の旨を楽器店に伝える決心はほぼ着いていた。

旅の荷物と共に楽器を持って空港を行き来するのは大変な苦痛を伴うので、この日も翌日の新潟公演の現地まで業者に楽器の運搬を任せてしまい、都内でのリハーサルには一度自宅に自分の楽器を取りに戻ってから向かう。オペラ「ボエーム」は通すだけで2時間半、長旅の直後の13時半から21時半までのリハーサルはさすがに応えた。座っているだけで身体のあちこちが痛むし、何しろ集中力が長時間続かない。無駄振りのあまりにも多い日本人指揮者に脳味噌を着いて行かせるだけで精一杯、地獄の8時間だ。

11/27(土)

10月に起きた大災害、中越地震で上越新幹線の一部が不通になっているため、当初新幹線移動だったこの新潟公演の行程は東北新幹線で郡山まで行ってそこから貸し切りバスで新潟まで移動、と言うものに変更されていた。在来線を乗り継いで大宮まで行き、予め渡されていた特急券に記載されているMaxやまびこの列車名を探すが、どうやらこの日朝からの記録的な強風のためにダイヤが大幅に乱れてしばらくは到着しないようだ。

列車が到着するはずのホームでうろうろしていると、経営者N氏とオーケストラのヴァイオリン奏者が話しをしているのを見つけたので挨拶に行く。話しを聞いてみると昨夜先に現地入りしていた事務局の担当者から新潟県民会館のピットが狭いのでオーケストラが入りきれないと連絡があり、ヴァイオリン他弦楽器数名をキャンセルしたいのだと言う。ピットの寸法など事前にホールに問い合わせれば分からない筈がないのに、一体なぜこんな事態が起こり得るのだろうか。大宮駅のホームでいきなり当日キャンセルを喰らった奏者も、当日キャンセル故にこの日の報酬は保証されるもののさぞ複雑な心境で帰宅した事だろう。

遅れる事30分ほどだったか、ようやく目的の列車が大宮駅に到着。事務局側から事前になぜか全員喫煙車両しか取れなかったとの連絡を受けていたので、タバコを吸わない人達は東京駅から乗車した人を含めて早めに来て禁煙車の自由席を確保していた。ところがいざ乗車してみるとその指定席は禁煙車両。どうせ車中は睡眠に費やすつもりだったのでタバコを吸う自分も禁煙車でよかったが、吸いたくなった時の為に一応喫煙車両へ移動する。タバコを吸わないのにわざわざ早く来て自由席に移動した人達は馬鹿を見た訳だ。結局これはN氏がチケットの何かの文字を「喫煙」と読み間違えた事が原因と言う何ともお粗末な騒動だった。

さて、新幹線が郡山に着いてみると我々を待っている筈の貸し切りバスがいない。数十人でしばらく駅前を彷徨っているとそのうちコントラバス奏者の数人が駅前から少し離れている所に待機しているバスを発見。オーケストラに同行する唯一の事務局側の人間であるこのN氏が新幹線の大幅な遅れをバス会社に連絡するのを忘れていたために、長時間駅前に停車していたバスが警察によって移動させられていたらしい。お粗末極まりなし。

郡山から3時間程のバス移動でようやく新潟に到着。一旦ホテルにチェックインして指定された時刻にホテル前に集合し、同じ貸し切りバスでホールに向かう事になった。ピットのスペース上、新潟到着後に更に弦楽器の人数が削られたようで、そのままホテルに残るチェロ奏者やホールに到着してから降り番を言い渡されるコントラバス奏者が出るなど信じ難い状況は続く。事前にピットの状況を問い合わせていさえすればこの何人もの当日キャンセルなどあり得ず、相当額の経費が抑えられた筈だ。演奏家に無理な移動を強いている場合ではない。

トロンボーンのスライドを伸ばすスペースすら充分に確保出来ず、音響的にアンサンブルを取る事も困難な劣悪な状況での本番も何とか終えてホテルに戻ったのが21時過ぎ。数々の出来事に疲れ切って美味しそうな店を探す気力もなく、ホテルのすぐ裏にあった居酒屋で取り敢えず乾杯。

11/28(日)

朝9時にホテルをチェックアウトして貸し切りバスに乗り込む。この日は山梨県の甲府まで北陸道〜上信越道〜中央道を経由しての長距離バス移動だ。途中食事休憩を挟みつつもツアー終盤でボロボロになった身体での5時間以上のバス移動は予想以上にきつく、エア枕を当てて寝るものの身体が痛くてすぐに目が覚めてしまう。ここ数日首や腰の痛みから演奏中効率の良い呼吸がしづらくなり、そのために口に無理な負担がかかりやすくなるので結果的に余計な体力と精神力を使うと言う悪循環に陥りつつある。注意して調整しないとこの忙しい時期に調子を崩してしまっては大変だ。

甲府のホールに到着。本番までは4時間近くあるのでまずは身体を伸ばさなくては。幸い殆どの人が広い場所を求めて楽屋近辺からいなくなった事もあり、楽屋入り口近くの喫煙所のソファーを陣取って横になる。眠れはしないものの時間をかけたストレッチも功を奏して2時間ほどすると幾分からだが楽になったので、数人で軽く食事に行こうとホールを出る。ところがあてにしていた食堂は休日のため休み、近所に他に食事の出来る所もないので仕方なくコンビニに寄って弁当を買い、ホールに戻って食べる事に。

ようやく本番を終えてすぐにホールを出発。解散地の新宿を目指す貸し切りバスは、帰宅が危ぶまれる人がいるのを考慮してかなり急いでくれた事もあって22時半過ぎには到着。23時過ぎに帰宅して爆睡。やっぱり身体が痛い。

11/29(月)

バレエ公演はオフ。この日は12月3日の同オーケストラ定期のリハーサルが朝10時半から都内で行われた。プログラムが全てベートーヴェンと言う事もありトロンボーンの出番が僅かしかないので、幸いトロンボーン・セクションの出勤は13時半と楽をさせて頂いた。しかし7時半に起きて息子の食事と保育園の登園を済ませてからの出勤なので身体はあまり休められていない。

今回の定期のウィーン生まれの女性指揮者は、癖のある棒を振るものの音楽表現にはなかなか共鳴できる部分も多く、ここ最近では少ないストレスで仕事が出来そうだ。しかし自分を含めてオーケストラの殆どのメンバーがバレエのツアーを兼ねている。わざわざ来日して疲れ切ったオーケストラを振らされる彼女も気の毒な気がする。集中力の低下もあってか、ドイツ語混じりの英語での指示を聞き逃す人も多発。

11/30(火)

バレエの福岡公演、いよいよツアーの最終日だ。朝起きるとあまりにも身体が辛いので、保育園の登園を妻に頼んで10時半頃家を出て羽田空港に向かう。一昨日までの時点で何かが起きる事にすっかり慣れてしまったのか、最後の最後に今日、事務局は一体何をやらかしてくれるのか楽しみだと何人かと冗談半分に言っていた。もう何が起きても驚かないぞ、と。

しかし驚かざるを得なかった。11時50分頃集合場所の出発ロビーに着いてみると、何だかオーケストラの面々が騒がしい。オーケストラ全員分の搭乗券を持ったN氏が飛行機の時間を1時間間違えて、集合時刻の12時にロビーに来られないと言うのだ。今から別の便でこの人数が福岡に飛べるとは到底思えず、これはついに公演中止かと半ば諦めムードが漂い始めていた。本来12時半である飛行機の時間を13時半だと思い込んでいたN氏は、結局かなり早めに到着するつもりだったようで12時10分過ぎ頃に汗だくで到着、オーケストラはぎりぎり予定通りの便に搭乗する事が出来た。

福岡空港からは貸し切りバスで直接ホールに入り、無事に開演を迎える。「白鳥の湖」と「ジゼル」で回って来た今回のツアーだが、実は20日の岡谷公演が白鳥の湖だったのを最後に28日の甲府公演までの演目は全てジゼルで、この日が実に10日ぶりの白鳥の湖になる。オーケストラの編成は白鳥の湖の方がかなり大きく、従ってジゼルではツアーに参加していなかったメンバーが相当数いる訳だ。先述の通りオーケストラは日々指揮を無視する事で何とか演奏の質を保つ努力をしつつ本番を乗り越えて来た。10日ぶりのジゼルのみのメンバーには当然その感覚は薄れていて、リハーサルなしでいきなりの本番ではアンサンブルが乱れるのも無理はない。

全国のTバレエ団のファンがこのNオーケストラの音楽をどう感じたのかは知る術もないが、この過酷な状況でリハーサル初日からの約1ヶ月、よくここまで頑張ったものだと思う。21日の会議の後にも数々の問題が発生している事から、今後の早い体質改善は見込めないらしい事が分かってしまったの事がこの上なく憂鬱ではあるが。

最終公演を終えてホールを後にする。ホテルまで路線バスの運賃が支給されていたが、ここはタクシーに分乗してホテルに向かう。22時頃から初めての打ち上げらしい打ち上げ、もつ鍋の美味しい飲み屋に十数人が集合。明日も早いがせめて最終日ぐらい盛り上がっておかないと。

12/1(水)

朝8時過ぎにホテルをチェックアウト。ここから福岡空港までは各自で移動する事になっていたので、4人程で待ち合わせて博多から地下鉄に乗り空港へ向かう。前日にマネージャーから指示のあった搭乗券の受け取り場所に集合時刻の5分程前に着くがマネージャーはいない。時間まで待っても姿が見えないので携帯に電話してみると、指定した2階の出発ロビーは分かりにくく多くの人が1階の到着ロビーに来てしまうので、そこで待っているとの事。正しい場所に向かった人に連絡もせず勝手に場所を変更するなど常識的な大人の取る行動とは信じ難い。呆れて物も言えない。勿論苦情は言ったが。

最後まで嫌な思いをしつつ10時40分頃ようやく羽田に到着。全く容赦なく、この後は池袋で14時から3日の定期のリハーサルだ。楽器も抱えていたし身体がとにかく動く事を拒否していたので、コントラバス奏者の一人を誘って電車やモノレールに向かう人達を後目に池袋行きのリムジンバスの乗車券を購入、11時55分の発車時刻までの1時間少々を食事をしながら潰す。

バスは通常道路が順調なら40分足らずで池袋に着くが、この日は若干渋滞もあって1時間程かかった。しかしリムジンバスの座席はこのツアー中のどの乗り物よりも座り心地が良く、これでもう当分はあのロシア人指揮者の下で演奏しなくて済むんだなぁと言う思いもあって多少安らぐ事の出来た1時間だった。やれやれ。

この後2日のオペラリハーサル、3日の定期本番、4日と5日のオペラ本番とNオーケストラの仕事は続くが、その終了を待ってついに身体を壊す事になる。その話しはまた次の「珍病?」で。 続



↑ このページのTopへ

← Memorandums のTopへ