2004年 12/6(月) 週末から風邪をひいていた息子の熱が下がりきらないので、今日は保育園を休ませて朝から子守りだ。長くて辛かった仕事がようやく一段落着いて久し振りのオフになったこの日、9月中旬から探し続けて来た新しい楽器の購入を決める。S楽器店より11月16日から借用してバレエのツアーにも使っていた楽器を晴れて購入すべく、妻が仕事を終えて帰宅するのを待って楽器店に購入の手続きに行った。朝起きた時から全身がきしむように痛み、尋常でない気だるさがあった。前日までの怒濤の日々を考えると無理もない。今日はこの後ゆっくり身体を休める事にしよう。 |
12/7(火) 夜中のうちから熱が上がり始め、明け方には頭もかなり重たく感じられた。身体の節々も痛いのでこれは息子の風邪をもらったと思い、昼の個人レッスンをキャンセルさせてもらう。夜には大学の吹奏楽の指導に出向かなくてはならないので家にあった解熱剤を飲んで取り敢えず寝る。しかし熱は38度を超えて下がる気配はない。夜の仕事はキャンセル出来ないので痛む身体を騙しつつ家を出るものの、元々熱に弱い身体のようで37度を超えないうちに徐々に辛くなり始めるので、気合いで乗り切った2時間の指導の後は帰宅後殆ど何も出来なかった。 |
12/8(水) 41歳の誕生日。2歳半の息子は先天性の心疾患で生後5ヶ月になった日に心臓の手術を受けているが、今日は年に一度の術後経過観察の日だ。朝から高めの熱が出ているので解熱剤を少々多めに飲み、かなり厚着をして出かける事にする。子連れだと病院までは電車と徒歩で片道1時間近くかかるし、検査にもかなり時間がかかるので殆ど半日がかりになる。体調不良の身には重労働だ。 駅から15分ほどの徒歩はきつかったが、身体を動かした事もあって暖房のしっかり効いた病院では待ち時間の間に相当量の汗をかいた。悪寒と大汗が一度に来ると妙な感じだが、薬が効いて来たのか次第に悪寒は薄れて多少熱が下がったのが感じられる。そこそこ大人しく待ち時間を過ごしてくれた息子は心電図と心エコーの検査中も殆ど動かずに横になってくれていたので、比較的短い時間で検査を終える事が出来て助かった。 再び長い待ち時間を経て主治医の先生に問題なしとの話しを伺って大汗をかいたまま帰路に就く。さすがに歩き疲れた息子が容赦なく抱っこをせがむので、仕方なく駅まで途中10分近くを抱っこ。帰宅後はやっぱり熱が38度7分まで上がって来て動けなくなる。なかなか辛い、嫌な誕生日の1日だった。 |
12/9(木) 保育園の登園を済ませ、午後からはNオーケストラの仕事。13日の「Jリーグアウォーズ」と言うサッカーJリーグのMVPなどを発表するイベントの都内でのリハーサルだ。熱は朝から37度2分ほどあったので解熱剤を飲んで出かける。頭が重く多少節々が痛むものの夕方頃までは何とか普通にしていられる位の体調を保てていたが、食事休憩に入ると間もなく猛烈な悪寒と体中の痛みが襲って来た。トロンボーン・セクション4人で食事に行ったが半分も食べられず、次第に言葉を発するのも辛くなって来た。しかも何故か右の胸、肺の上の方が物凄く痛くなって呼吸が出来ない。 食後すぐにもう一度解熱剤を飲んで夜のリハーサルが始まるまでの数十分間を会場のロビーで過ごすが、かなりの厚着をしているにも関わらずあまりの寒さに震えが止まらず、胸の痛みも猛烈で座っている姿勢を保つ事も出来ず半ばもがいているような、はたから見たらぎょっとするような光景だったに違いない。その後リハーサルは再開されたが、とにかく胸が痛くて殆ど音も出せず、楽器を杖に椅子にうずくまっているのがやっとと言う状況で周りの奏者に迷惑をかけながら2時間程が過ぎる。 20時半の終了を待てずについに堪らなくなり、事務局のマネージャーに病院に行かせてくれるように頼んで楽器をしまいリハーサルを抜け出す。この会場は最寄りの地下鉄の駅から徒歩10分程の所でその駅のすぐ隣りに国立印刷局の病院があり、そこの夜間診療を目当てに歩き始めた。しかしかなりの熱があるらしく呼吸が荒くなり、恐る恐るの呼吸でも痛む胸には当然激痛が走る。前かがみになって寒さと痛みで呻き声をあげつつ、途中何度も楽器を置いて立ち止まりながら30分かけてようやく病院に辿り着いた。 病院では血圧測定と血液検査をしてもらったが、夜間と言う事で放射線技師が不在でレントゲンは撮ってもらえない。過去に肺の病歴があるかと訊かれて20歳過ぎの頃に自然気胸をやった事を告げる。これは何かの拍子に肺に穴が空いてそこから空気が肺の外に漏れてしまう病気で、とにかく物凄く痛い。状態が悪いと肋骨の間からチューブを挿入して漏れた空気を抜いたり、最悪の場合は開胸手術になるのだが、幸いその時の状態は比較的良く数十日程度の自宅安静で自然治癒となった。今回の痛みは確かにその時に相当する物で、20年経ってまたか、と不安がよぎる。何十日も仕事を休んで安静にしていたら生活出来なくなってしまう。 熱が38度4分あり悪寒は激しいものの、病院で暫くじっとしていたら胸の痛みが少しだけ和らいで来たので、板橋区のT大学病院に紹介状を書いてもらいタクシーで向かう事にする。方角的には帰宅途中にあるのでここなら帰宅の際のタクシー代も最小限に抑えられる。何とか歩けますと言ったが、看護婦さん達が楽器と荷物を持ってくれて、おまけに車椅子に座らされてタクシー乗り場までのほんの20メートル程の距離を押してもらう。車椅子初体験は何だか恥ずかしい。 T大学病院に着くと夜間診療が充実しているようで何人かの患者が順番待ちをしていた。苦痛でかなり長く感じられたが実際には20分程だったのだろう、ようやく順番が回って来て診察室へ。事情を話し血圧測定に続いて大腿動脈(足の付け根)からの採血と心電図の測定。仰向けになって身体を伸ばすと胸に激痛が走るので、枕を高めに当てて身体の角度を調節してもらわなければならなかった。そして点滴を入れ、レントゲンを撮ってもらう為に放射線科に移動するが、少々距離があるのでここでも車椅子に乗る。座った姿勢でいれば痛みはそれ程でもない。 深呼吸が出来ないので撮影は苦痛だったが何とか終了し、診察室の前まで車椅子で戻って待つ事30分近く。順番待ちの患者はさっきよりも幾分増えていた。点滴が入ったまま何もする事がないし、車椅子を押してくれていた看護婦さんもいなくなってので自分で車椅子を動かしてみるが、これがなかなか難しい。最初はその場から殆ど動けなかったが、10分もすると次第に操作に慣れて来て方向転換やその場での回転が出来るようになり、これは面白いぞと待合いロビーを徘徊し始める。 そうこうするうちに名前を呼ばれて再び診察室へ。検査の結果は異常なし。レントゲンにも自然気胸を示す物は写っていないので結局この痛みの原因は分からない。幾つかある持病の中の肋間神経痛がとんでもなくひどい症状で現れたのかも知れない。その後も暫く続けた点滴のおかげで熱は幾分下がり、胸や全身の痛みもかなり和らいで来たので取り敢えず帰宅する事に。リハーサルを抜ける時にセクションの一人に万一に備えて同オーケストラの明日の仕事の代役を捜してくれるよう頼んでおいたので、恐らく明日の仕事は出来そうだと電話で報告を入れる。 今度は自分の足で病院を出て、タクシーに乗り込んだのは既に23時を回っていた。迷惑をかけた事務局のマネージャーにも一報を入れて帰宅。明日は午前中にレッスンが一件、午後からは12日が本番の第九のリハーサルが21時までとまたハードな1日。かかりつけの医院に出向く時間もないし、同じ症状が再発しない事を祈るばかりだ。 |
12/10(金) 午前中のレッスンは7日にキャンセルさせてもらった分なので何としても決行したいと思っていたが、熱は多少あるので悪寒はするものの、幸い胸の痛みはなくなっていたので無事に終える事が出来た。一旦帰宅して食事をとり、楽器をテナーバスからアルトに持ち替えて昨日と同じリハーサル会場に向かう。途中昨日最初に行った国立印刷局の病院に立ち寄り会計課へ。夜間診療だったので点数計算が出来ず一時金を支払っていたので、正式な会計が出されている今日、過不足分の精算をしなければならないのだ。幸い大した検査をしなかったので少々の額が戻って来た。 精算はすぐに終わりそのままリハーサル会場へ。つい18時間前のあの地獄の30分の道のりが嘘のように、病院から会場までの徒歩10分が短く感じられた。昨日と今日では同じNオーケストラの仕事で、別の本番のリハーサルではあるものの同じメンバーが相当数いるので、会場に着くと昨日の尋常でない様子を見た人達が声をかけてくれる。迷惑をかけた事をひたすら謝りつつ、仕事中は特に激しい痛みが現れる事もなく無事にリハーサルを終えた。しかし帰宅後に熱は38度5分に上がって頭痛も激しくなる。 偏頭痛と緊張型頭痛の複合型と言うのも持病の一つだが、これはいつもの感じと少し違って偏頭痛寄りのようだ。明日は1日がかりで中学校のレッスンが入っているが、この体調では往復2時間半の道のりも不安だし大事をとってキャンセルさせてもらう事にする。顧問の先生にお詫びの電話を入れ、就寝。 |
12/11(土) 朝から熱が38度5分を超えていたので、家の事と息子の登園を妻に任せて近所のかかりつけのTクリニックへ。まずはインフルエンザを疑われて検査をするがこれは違うようだ。一応胸のレントゲンも撮ってもらうが、若干気になる影があるものの自然気胸の気配は見られない。激痛もその後音沙汰なしだしやはり肋間神経痛だったのか。気になる胸の影に加えて頭痛と長く続く熱からマイコプラズマ肺炎の可能性もあると言われ、採血をする。検査の結果が出るのは13日以降になるそうなので、取り敢えずこの日はゆっくり点滴を入れてもらう事に。 激しい悪寒がするので毛布を2枚重ねて掛けてもらい横になるが、とにかく寒くてじっとしていられない。点滴の針が抜けないように気遣いながらも2時間あまりの間ずっともぞもぞと動きながら悪寒に耐えたが、13時を回りようやく点滴が終わった時点では熱が39度に達していた。2月の上旬に息子のインフルエンザをもらった時以来の39度だ。同じ年に2度も高熱に見舞われるとは全く不運としか言いようがない。 これまでは去年歯根膜炎をやった時に大量に処方してもらった解熱鎮痛剤のロキソニンを飲んでいたが、さらに解熱に強い効果があると言うボルタレンを処方してもらい、他に抗生物質や気管支拡張剤などいくつかの薬とともに持ち帰る。それにしても今日の中学校のレッスンを昨日キャンセルしておいて本当に良かった。出先でこの状態になったらまたタクシーで近くの病院に駆け込まなければならない所だった。 帰宅後早速薬を飲み思い切り厚着をして布団に入ると、1時間半程経って全身から猛烈な勢いで汗が吹き出して来た。かなり急速に熱が下がり始めたようで、悪寒が嘘のように消えて身体が楽になる。夕方過ぎまで眠る事が出来て熱も37度近くまで下がりそこそこ動けるようになったので、軽い頭痛と節々の痛みはあるものの普通に食事を取り風呂に入る事が出来た。第九の本番が明日だと言うのに今日は楽器を全く吹いていないのでかなりの不安があったが、とにかく眠れるだけ眠っておこうと早めに布団に入る。 |
12/12(日) 朝9時前に家を出て2駅電車に乗る。今日の本番会場は少々遠いのでトランペット奏者の一人にその駅から車に乗せてもらう事になった。楽な移動の後、到着前にコンビニに寄って弁当を買い会場入りして昼食を取る。トロンボーンは出番が少ないので正午からのリハーサル中も出番のない楽章ではロビーに出て横にならせてもらい、なるべく身体に負担を掛けないように気遣った。それが良かったのか本番が終わる17時頃まで無事に高熱に見舞われずに済み一安心。再び車に乗せてもらい今度は家まで送ってもらう。しかし帰宅後やはり熱は38度を軽く超えて頭痛も激しくなる。 |
12/13(月) 9日にリハーサルを抜け出してしまった仕事の本番の日だ。かなり長い拘束時間なので無事を祈るばかり。この日のリハーサル開始は11時だが、会場の横浜アリーナまで1時間半かかるのでウォームアップの時間も考えて8時過ぎに家を出て早めに到着。熱は朝から36度9分と嫌な感じで、17000人が入る大きな会場の暖房は効くのに時間がかかりまだ肌寒いのも手伝って多少の悪寒が走るので一応ここで解熱剤を飲む。リハーサルはサウンドチェックを兼ねて3時間程行われ、その後オーケストラ以外の団体のリハーサルに移り、そこで弁当が出て中途半端な時間の食事休憩。再び15時頃から今度は全てを本番通りに通すランスルーに入り17時頃全てのリハーサルが終了。 本番開始の18時半まで時間が空いてここでも弁当が出るが、昼食を取ったのが14時過ぎだった事もありこの時間は休む事にする。横になる場所がないので控え室の椅子に座りテーブルに突っ伏して寝ようとした頃、かなりの悪寒が襲って来る。暖房はもう充分に効いている筈なので熱が上がって来たか。頭痛も始まったので慌てて薬を飲んで厚着をしてとにかく休む。しかし頭が痛くて眠る事は出来ない。 頭痛が多少治まって来たのは18時を10分程過ぎた頃だった。急いで本番の衣装に着替えステージへ。会場は1万人以上のJリーグファンで埋め尽くされて大変な熱気だ。ショウが始まるとおびただしい数の照明に照らされて何台ものTVカメラがこちらに向けられているので、頭の痛さを顔に出す事が出来ない。実際にはアップで撮られる事はまずないだろうがピット以外の本番、特にTVの入った本番では表情にも気を遣わなければならないのが辛い所だ。 オープニングの演奏を終え他の団体のショウに移るとここで若干の休憩。殆どの人が本番前の時間に食事を済ませていたが、自分はその時間休んでいたのでここで弁当を食べる。さっきよりも頭痛が治まり食欲も出て来たので、これはこのまま乗り切れるかも知れないと気合いを入れ直し再びステージへ向かう。後半は各受賞者の発表や表彰式がメインなので、オーケストラは要所要所で音を出す以外殆どがステージ上での待ち時間だ。その間オーケストラの前に張り出した舞台に立つJリーガー達にのみ照明が行くので、こちらはカメラを向けられる事なく気を抜く事が出来る。 休み休みの演奏だった為か幸い最後まで容態が悪化する事なく本番を終える事が出来た。イベントの熱気とは裏腹に低いテンションのままだったものの、取り敢えず一安心して会場を出たのが21時過ぎ。電車を乗り継いで帰宅後、23時頃熱を計ってみるとやっぱり37度8分あった。一体この熱はいつまで続くのだろうか。 |
12/14(火) 仕事が午後からなので保育園の登園を済ませたその足でTクリニックへ。気になる検査の結果は異常なしで、マイコプラズマ肺炎ならもうとっくに咳がひどくなっている筈なのにそれが全くない事からも、これはどうやら違う病気らしいと言う事になる。相変わらず高めの熱や頭痛が続いている事を告げると、何かを思いついた先生が看護婦さんに先日の採血分を違う検査に回すよう指示を出す。伝染性単核球症(でんせんせいたんかくきゅうしょう)と言う病気にほぼ間違いないだろうと言う事だ。 この先生には以前息子の心音の異常にいち早く気付いて本格的な検査を勧めて貰うなど大変世話になっていて、最も信頼のおける先生の一人だ。その先生がほぼ間違いないと言うのだからそうなのだろう。17日まで来る事が出来ないので、明日にでも仕事帰りの妻に検査の結果を聞きに来てもらう事にして一旦帰宅、薬を飲んですぐに楽器を持って仕事に向かう。 今日の仕事は明日の千葉県での吹奏楽の本番のリハーサルだ。通常なら電車を乗り継いで最寄りの駅から10分少々を歩くのだが、朝の時点で38度近い熱があったのでこの日は違うルートを行く事にする。家の最寄り駅から会場に一番近い駅まで乗り換えずに行き、そこから会場までタクシーに乗るのが一番楽だと考えた。実際電車に乗っている間中相当な悪寒に襲われ、身体に力が入らずフラフラしていたのでこれが正解だっただろう。 電車を降りてタクシーを拾い会場名を告げたものの、タクシー歴の浅いドライバーだったようで場所が分からない様子だ。説明しようにも普段電車で最寄り駅まで行く会場なので車での道は大まかにしか分からないし、そもそも熱で朦朧(もうろう)としている頭で的確な説明が出来ない。あちこち彷徨っているうちに薬が効いて来たようで体中から大量の汗が吹き出して来る。13時半のリハーサル開始には充分間に合いそうなので、遠回りは解熱の時間稼ぎと諦めて車内でゆっくりする事に。 12時半過ぎにようやく会場に到着。タクシーのメーターは1900円を超えていたが、迷って申し訳ないと1500円にしてくれた。迷わずに着けば1000円ぐらいで済みそうな気もしたが、交渉する気力もなく1500円を支払って下車。大量の汗をかいたもののまだ熱がある感覚ははっきりとあり、音数が多くきつい吹奏楽の仕事なのでしっかりとウォームアップをしたかったが、思うように身体を使えず出る音も情けない。 普段吹奏楽と言う物は指導するばかりで演奏する機会はあまりない。この日はUオーケストラの仕事で、依頼が吹奏楽だった為に同オーケストラの管楽器奏者を中心に臨時編成された吹奏楽団での仕事と言う訳だ。リハーサルが始まって暫くは悪寒もあったが、30分もすると急に楽になり熱も下がって行くのが分かり、16時半までのリハーサルは何とか無事に終える事が出来た。ここ最近はNオーケストラの仕事が多かったので、このUオーケストラのメンバーに新たに弱っている姿を見せる事になってしまい、心配してくれる人達に改めてここまでの経過を話す事になる。全く情けない。 そしてこの後、夜は7日以来になる大学の吹奏楽指導。9日に駆け込んだ国立印刷局の病院で紹介されて向かったT大学病院がこの大学の近くなので、大学に行く前にここへも過不足分の精算に出向く事に。リハーサル会場からは一旦帰宅して楽器を置いて出直したが、駅から病院までは地図で見るよりも遠く、受付終了の18時が迫って早足で歩いた事もありかなり身体が辛くなって来る。受付に到着したのは18時丁度で、不足分の数千円を支払った後はその場で暫く動けずにいた。 駅からタクシーを使わなかった事を多少後悔したが、幸いその後熱は思った程上がらず、吹奏楽の指導自体は前回ほどの苦痛もなく20時半の終了時刻を迎える事が出来た。しかし前回の指導から1週間、今日まで熱が下がらない事を学生に言うと皆一様に驚いていた。それはそうだろう。まさかこんなに長く続くとは本人も思っていなかったのだから。 |
12/15(水) 5時半起床、6時過ぎに家を出てJR錦糸町駅へ。臨時編成の吹奏楽団はここから貸し切りバスで千葉県の大原町に向かう。寝不足なので2時間程の車内は殆ど寝て過ごし、会場到着後は殆どウォームアップもせずにリハーサルに突入する。この日は高校の芸術観賞会、本番開始が11時なのでこんなにスケジュールが詰まっている訳だ。熱が上がる気配は感じないままリハーサルを終え本番に突入したが、本番終了間近になって少々頭が重く嫌な感じになって来た。久々の、しかもただでさえきつい吹奏楽、出来れば万全の体調で臨みたかった。 頭が重いまま、しかしそれ以上状態が悪化する事もなく本番を終えて再びバスに乗り込む。支給された弁当を車中で食べ、錦糸町に着き解散となったのが15時半頃。この間少しずつ気だるさが増して来て、帰宅した頃には多少息苦しさも覚える。この後は池袋で19時から別のリハーサルがあり遅くても18時半には家を出たいので、少しでも休もうと薬を飲んで1時間半程横になる。何だか最近暇さえあれば横になっているような気がする。 夜のリハーサルは明日の金管アンサンブルの本番の為の物で、これがまた吹奏楽に輪を掛けてきつい。息苦しさはバス移動の疲れからだったのかリハーサルが始まるとそれ程でもなくなったが、プログラムの殆どがテンションの高い曲なので、通常の半分もないと感じられる体力では着いて行くのが精一杯だ。何とか21時の終了まで踏ん張るものの、熱は帰宅後また38度5分を超えてしまう。 Tクリニックで話しを聞いて来た妻によると、病名は伝染性単核球症で間違いないそうだ。EBウイルス感染による病気で、白血球の数値が下がり異型リンパ球が現れるのが大きな特徴と言う事。先生は症状から推測して以前採った血液をこの検査に回してくれたのだった。主に知られる症状としては高熱が1週間以上続く、のどが腫れる、全身(特に首)のリンパ節が腫れる、肝機能障害が出るなどだが、今の所当てはまるのは熱ぐらいだ。頭痛はこれに伴う固有の症状なのだろうか。 インターネットで調べてみた所、大まかには以下のような物。日本では3歳頃までに約7割、20歳までには9割以上が既に感染して抗体も出来ている。発症は一生に一度で、小児期や若い頃に感染すると無症状か微熱程度で済むので感染に気付かない事が殆どだと言う。主に唾液から感染して一度感染するとその人は一生キャリアになるが、大抵の人は既にキャリアなので患者を隔離する事に意味はないらしい。麻疹や水疱瘡などと同様、歳をとってからの感染は症状も重く長引くそうだ。高熱が引いた後も微熱が1〜3ヶ月続く事があると言う。 父親の転勤で9歳からの3年半程をオーストラリアで過ごしたのが感染し損ねた原因なのだろうか。同じ年に2度の高熱どころか、こんなに発症率の低い病気にかかってしまうとは何という運の悪さか。そう言えば去年歯根膜炎になった時にその年が自分の前厄だと思っていたが、計算方法に2種類あるようでもう一方の計算法では前厄は今年ではないか。 |
12/16(木) 朝7時過ぎに家を出て千葉県の市川へ。今日の金管アンサンブルは昨日の吹奏楽とは無関係の団体だが、なぜか2日続けて千葉県での芸術観賞会だ。出がけに計った熱は36度7分、平熱が36度3分なので微妙な感じではあるが身体に異変は殆ど感じられない。体力が落ちているので相応の疲労感はあるものの久し振りにリハーサル、本番共に身体を心配する事なく乗り切る事が出来た。 14時頃帰宅して2時間程休み、夕方からは今年最後の大学の吹奏楽指導。ここでも熱は上がらず無事終了して21時半頃家に着く。病名が確定した翌日にいきなり回復か、と思いきやその後少々頭痛がして来たので慌てて薬を飲むが、結局熱は37度1分まで上がりそれ以上にはならなかった。仕事中に体温計を見ると気が滅入るので熱は家でのみ計るようにしていたが、恐らく7日未明の発熱以来38度を超えなかったのはこの日が初めてだろう。午前0時を回ると頭痛も殆ど治まり就寝。 |
12/17(金) 午前10時からまた別の金管アンサンブルのリハーサルがあり、14時半からは高校吹奏楽のトロンボーンのレッスン。朝の熱はこの日も36度7分で、レッスン終了まではどうやらこの辺りで推移していたようだ。ところが高校からの帰宅途中、電車の中で少々頭が痛くなり始める。どうもこの頭痛が37度を超えそうだと言う合図らしい。 18時少し前に終了間際のTクリニックに駆け込み診察を受ける。ウィルス感染なので抗生物質は効かず保険のきく範囲ではこの病気に有効な薬はないと言う事で、抵抗力が落ちて合併症を起こすと厄介なので補中益気湯を大量に処方され長く飲み続けるよう勧められた。頭痛も頻繁に来るのでボルタレンも多めにもらっておく。帰宅後19時過ぎ頃には熱は37度3分まで上がり頭痛は深夜まで続く。 Tクリニックで血液検査の結果のデータのコピーを渡されたので仕事柄データの読める妻に見せると、白血球の数値はぎょっとする値だったそうだ。やはりまだまだ長引く事は覚悟しなければならないのか。 |
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その後・・・ 年末までオフが殆どないまま週に2日程は1日中微熱に見舞われ、残りの日は夕方頃から頭痛が始まりそれに伴って37度3分ぐらいまでの熱が数時間続くと言う日々を送る。頭痛を抑える為ボルタレンを少しずつ消費しながら仕事は何とか切り抜けるが、頭が痛いだけで神経も相当にすり減るので疲労感が半端ではない。時には家の中で隣の部屋に物を取りに行って戻った後、暫く動機が収まらない事もある程だ。とても40そこそこの人間の身体とは思えない。この状態が今後1ヶ月以上も続いてこのまま体力が落ち続けて行ったら一体どうなってしまうのかと考えると少々恐ろしい。 そして年は明けて2005年。頭痛の予防になるかも知れないと年末に処方されたミグシスを2週間続けて飲んでみたが効き目は全く現れないので服用を中止。12月16日に高熱から解放されてから5週間平熱に下がる事はなく、しかし上がっても37度3分程までと言う状態は変わらない。高熱が引いた後も微熱が1〜3ヶ月続く事があると言うが本当にそのつもりなのか。 そんな中での1月20日、仕事の昼休み中に身体に異変を感じ始める。どうも熱が上がり始めているようなのでボルタレンを飲んで午後の本番は無事に終えたが、帰宅後には実に5週間振りに38度を超えていた。これまでになかった喉の痛みもある。夕方もう一度ボルタレンを飲むと20時過ぎには一旦37度3分まで下がるが3時間も経つとまた38度5分まで上がってしまい深夜にまたボルタレンを飲む。翌朝までこんな調子だ。 翌21日の朝Tクリニックに駆け込むと、何と幼児にお馴染みの細菌性の風邪の一種、溶連菌感染症だと言う診断結果。伝染性単核球症を大人になって発症する事自体珍しいと言うのに、よほど抵抗力が激減していたのか。溶連菌感染症にかかった大人と言うのもあまり多くは聞かないし、我が身の事ながら呆れてもう笑うしかない。扁桃腺は素人が見てもはっきり分かる程真っ白になってかなりの痛みがあり、高熱は結局22日の深夜までまる2日以上続いてから収まった。 思えば最後に平熱だったのはもう1ヶ月半以上前の事だ。平熱が懐かしい気さえする。溶連菌感染症の症状は数日でなくなるだろうが、きっと今後もまだまだ微熱と頭痛の残り日数を消化する日々は続くのだろう。病気自体は珍しい物ではないものの、あまり聞かない「大人になっての発症」と言う経験をこんなに短期間にしてしまったのだから厄も馬鹿にした物ではない。今年が本厄だか後厄だか分からないが、払って落ちる物なら落としてみるか。と言いながら信仰心のない自分が本当に厄払いに行くとは思えないが。 記・2005年1月23日 完(続?) |