私にとって Queen とは… その5

逃避

その日もやはりテレビや新聞を見ていなかった私は当時の友人に Freddie の死を知らされて、最初は友人が何を言っているのか理解出来ませんでした。しばらくしてからようやく状況が飲み込めた時には「嘘だ」「終わった」と言う2つの言葉だけが頭の中を回っていた記憶があります。

今考えてみてもその後数日間、自分が何をどう感じていたのか全く思い出せません。思い出せるのはしばらくの間どうしてもテレビや新聞を見る事が出来なかった、と言う事ぐらいで、今思えば事実を認めた自分がどうなってしまうのかが怖くて現実逃避のような状態になっていたのかも知れません。

それから何日間か経ってやっと Freddie はもういないんだ、と心の中で言えるようになってからは、あれほど素晴らしいと思った "INNUENDO" も聴けなくなり、それどころか Queen のジャケット、延いては Queen の文字すらも目にする事が出来なくなっていました。

よく年輩の方が贔屓のタレントやスポーツ選手が亡くなったり引退したりすると「俺の青春も終わったなぁ」などと言うのを聞いていましたが、それはこんな気持ちなのかとも思うし少し違うような気もするし、と言うような事を少し後になってから考えていたのは覚えています。

そして月日が経つに連れて Queen は自分にとって何だったのかとぼんやり考えるようになって、でもあまりにもその存在が巨大すぎて結局答えは出ず、少なくとも好きとか嫌いとかと言う次元の話しではない気だけはして、取り敢えず神様なのかな、などと言うよく分からない結論を出して何となく納得していました。

その後数年間 Queen を聴く事は全くなくなり、誰かとそう言う話題になる事も殆どないままクラシック音楽に囲まれて生活する日々が続きます。

再燃

そんなある日、仕事で知り合った同年代の作曲家の方と仕事の打ち上げで飲んでいる時にふとした事から彼が Queen ファンだった事が発覚します。どれぐらい振りに Queen について語ったでしょうか、随分長い間自分の中でタブーとして来た想いが一気によみがえり、あふれて来ます。

その晩家に帰ってインターネットで何気なく「Queen」と入力して検索をかけてみると、出るわ出るわ、1ケ月かけてもとても読み切れないほどの大量のページが引っかかって来ました。幾つかのサイトに目を通しているうちに、今まで Queen を自らに対してタブーとして来た「封印」のような物が解けていくのがはっきりと分かりました。

自分と同世代の人達はおろか、Freddie の死後に Queen ファンになったような自分よりも遙かに若い世代の人達にまで今でも彼らが愛され続けている事が分かって、人生のうち一番大切な時期を Queen と共に生きて来られた事に対する感謝と共に、今初めて自分が無数にいる Queen ファンのうちの1人なんだ、と言う当たり前の事を自覚したのです。

数ある Queen サイトのうち幾つかを度々覗くようになって、色々な角度から色々な接し方でそれぞれが Queen に関わって来た事を知り、また自分と同じように周りにファンのいなかった孤独感を味わって来た人の存在も知り、今なら堂々と自分は Queen が好き嫌いの「好き」だと言ってもいいと思えるようになりました。

Queen は自分にとって何だったのかと言う問いには、音楽を本気で好きにしてくれた、素晴らしい音楽とメッセージを残してくれた、一生かけて熱中出来る物を授けてくれた、そしてこれから多くの同志達とその喜びを分かち合う機会を与えてくれた人達、と答えてもいいかな、と言う気がしています。

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