1963年(昭和38年)12月、神奈川県 横浜市 神奈川区 三ツ沢に生まれる。
- 1歳の時に神奈川県 平塚市に移住、3歳より市内の菫平幼稚園に通います。
1970年(昭和45年)4月、平塚市立 花水小学校に入学。
- 文字は美しい花水小学校、のちに笑われる事になる学校名だとは、中学生になるまで気付きませんでした。
- 小学校入学と同時に、兼ねてからの両親の希望だったらしい「ピアノをやらせたいっ」という想いが実現、
- 週に一度のピアノのレッスンに通う事になりました。
1973年(昭和48年)3月、父の転勤にくっついてオーストラリアのシドニーに一家で移住、日本人学校に転入。
- 現地でピアノの先生を見つけ、引き続き週に一度のレッスンに通います。
- 英語の「え」の字もわからない小学4年生、母親が付き添ってのレッスンなのですが、母親もまたそれほど
- 英語は達者ではありません。先生が注意する、母が辞書を引き私に伝える、私がうなずく、というレッスン
- 風景が延々と続きます。
- 小学校高学年と言えば、普通はこの頃から本格的にタレントや歌謡曲に詳しくなる年頃なのでしょうが、
- なにしろ所は豪州、耳にする軽音楽は洋楽しかありません。当時人気のあった「Queen」「AC/DC」
- 「Elton John」「Yes」などなどに本格的にハマって行きます。そして「将来はドラマーになりたい!」
- などと思うようになり、2本の定規でベッドを叩いて密かに練習したりしていました。
1976年(昭和51年)10月、帰国。平塚市立 浜岳中学校に転入。
- 当時オーストラリアなどという国は一連のブームになるずっと前で、なんだかわからない国から転校生が
- 来ぞた、とわらわらと人が集まって来ました。そんな中「僕のこと憶えてる?」と声をかけてきた男が
- いました。彼は小学校の頃同じクラスだったH君で、今はこの中学のブラスバンド部でトランペットを
- 吹いていると言い、私に是非ブラバンに入部しろと言います。「ブラバン?」と思いつつも、これはもしか
- したらドラマーまっきぃへの第一歩かも知れない!と妙に納得し、二つ返事で入部を決めました。
- 早速H君に連れられて部室へ行き、先輩らしき人に「何が出来る?」と訊かれ、小学校でやらされた
- リコーダーとアコーディオンぐらいしか経験のない私は「何も出来ません」と言うしかありません。
- ピアノは6年間やって来てちょっとは弾けますが(帰国後ピアノの方もまた新しい先生を見つけて続ける
- 事にしました)、ブラバンにそんなものは必要ないし、やはりドラマーまっきぃへの第一歩としては、
- 恐る恐る「でも、パーカッションがやりたいです…。」と言ってみました。
- 「ごめん、今パーカス空いてないんだ。」「え、じゃぁ何が…。」「これなんかどう?」
- そして持たされた楽器は、なんだか妙に細長くてやけに大きくて、でもちょっとかっこよくて、それほど
- 悪い気はしない代物でした。「これ、トロンボ−ンって言うんだけど、ちょっと吹いてみて。」
- 【吹く】という動作は普通、どう考えても息をフーッと吹き込む事です。言われた通りに、自分側に
- 向かって空いている穴に向かって「フウウウーッッッ」と息を吹き込みますが、当然ラッパから出るのは
- その「フウウウーッッッ」が多少拡声された様な空気の音だけです。
- 周りで面白がっていた(?)数人の指導でやっと「フウーッ」が「ブウーッ」になって来た所で、
- 「じゃあキミ、まっきぃ君?トロンボ−ンね。これ使っていいから。」と言われ、晴れてブラバンの
- 部員になったのでした。これがトロンボニストまっきぃへの第一歩になろうとは夢にも知らずに。
1977年(昭和52年)4月、トロンボーンのレッスンに通い始める。
- 半年間ブラバンで過ごしてみて、段々この楽器が面白くなって来ました。練習は地味でつまらないけど、
- その分少しずつ音が出るようになって来たのと、友達になった同期のトロンボーンのF君から色々刺激を
- 受けた事もあり、F君の通っていた近所の音楽教室のトロンボーンコースに私も通ってみる事にしました。
- ブラスバンド部は、指導して下さった顧問の先生が大変に優秀な方だった事もあり、私が3年生の時には
- 吹奏楽コンクールで関東大会まで進むバンドに成長していました。
1979年(昭和54年)4月、神奈川県立 五領ヶ台高校に入学。
- 本格的にトロンボーンが面白いと思い始めて間もなく中学を卒業したので、高校に入ってする事は、まず
- ブラバンに入る事です。廊下を歩いていると「部員募集中!吹奏楽部(仮)」というポスターが目に飛び
- 込んで来ました。「(仮)?」と思いつつもそこに書かれている部室らしき場所に行ってみます。
- この高校は新設校で、私達の入学で初めて三学年が揃ったという学校でした。「(仮)」とはいわゆる
- そう言う事で、その時はまだ正式な部としてブラバンは存在しなかったのです。部室に入って、そこに
- 居た人達に「すいません、ブラスバンド部はここですか?」と訊くと、「ここは吹奏楽部ですっ、
- す・い・そ・う・が・く・ぶ!」と怒られてしまいました。どうやらここではブラスバンドと言っては
- いけないようです。
- 事情を聞いてみると、2年生である二期生数人で吹奏楽部を立ち上げようとしたものの、規定の人数に
- 達せず、1年生をある程度集めてから正式な部としての申請に再度チャレンジするようでした。
- トロンボーンを吹く場所がないとなっては大変です。「何とかちゃんとした部を作りましょう!」とか
- 何とか言ってしまったせいか、創部発起人の中に私も入り、1年のくせに新入生の勧誘に行ったり、
- 練習場所の確保に職員室の先生方に頭を下げに回ったりしたのでした。