私にとって Queen とは… その3

孤独

こんなに素晴らしい Queen に没頭した私は、授業中もノートに覚えた歌詞を書き連ねて行き、教科書や手帳には "Opera" のロゴマークを精密に書き込み、口ずさむ歌は全て Queen、おまけに道で「クイーン」の字を見つけては喜び写真まで撮ってしまう子供らしく可愛い(?)中学2年生になっていました。

しかし1人で盛り上がるそんな少年を、同級生達が変なモノを見るような冷たい目で見ているのを薄々気づき初めてはいました。彼らからしてみれば、何やら得体の知れない妙な格好をしたガイジンが難解な歌を歌うのを外国から来た転校生がカッコイイと騒いでいるのです。中には Queen が女装好きで単語には「オカマ」の意味もあるという知識を持った人もいて、そんなバンドが好きだとは何たる変人!と蔑む人も現れます。

2年生の冬に発表された新アルバム "NEWS OF THE WORLD" はそれまでの路線を大きく変更したショッキングなアルバムでしたが、ポピュラー性が前面に出たもののサウンドは明らかに Queen のもので、プログレッシブ・ロックから離脱して前作で1つのスタイルを築き上げた彼らが更にこんな事も出来るんだと言う凄さを見せつけられて「参った!」と思ったのを良く覚えています。

私を変人扱いする級友達にとって、このアルバムのジャケットは彼らの「変人扱いパワー」を更にアップさせたようです。何しろ人々を襲っているのがあの不気味に人間臭い顔つきのロボットですから。1曲目の「どんどんちゃっ」も彼らの耳には不気味なモノとしか聞こえなかったようで(20年後にこれだけ愛される曲になるとも知らずに…)一体お前の好きなあの連中は何なんだ、と言わんばかりの級友も増えて来ます。

私があまりにも至る所で「クイーンクイーン」と騒ぐので、この頃にはクラスはおろか学校中の私を知る人の殆どが Queen の存在だけは知るようになります。全く無関心に「ふーん、クイーンねぇ」と流す一派(?)と変人扱い組とに大きく分かれるのですが、なかなか同志には巡り会えません。

私がシドニーにいる間に Queen は過去2回の来日をしていましたが、愛読書のMUSIC LIFE 誌にはその時の日本のファンの熱狂的な様子が紹介されています。投稿欄にも出っ歯の Freddie をおちょくりつつ彼らを愛するファンが常に大勢登場しています。なのに…

洗脳

中学2年生の時、クラスでは全員に何らかの役職が割り当てられ、それぞれに「○○班」と言う名前が割り当てられた6人ほどのグループ数個に分けられていました。

それぞれの班には班内お互いの親睦を深めなさいと言う意味で1人が1日書いて次の人に回す事が義務づけられた「班ノート」と言うものがありました。今思えば日常の他愛のない事を書き綴って読み合っている「集団交換日記」のようなものなのですが、私は Queen の素晴らしさを少しでも広めるのにこの班ノートを活用し始めます。

Queen の音楽はどう素晴らしいか、Freddie の歌唱力はどれだけ凄いか、Roger はどれだけカッコイイかを延々書き連ねるのですが、無関心派にはやはりそれがどうした的にしか捉えられず、対抗するように自分の好きな事を書き返されるだけだったりしました。

その班のメンバーに親しい友人が2人出来て、3年生になってクラスはばらばらになり、当然班や班ノートも存在しなくなるのですが、なぜかその2人とは名前も班ノートと言ったまま交換日記状態が続いていました。

2年生の時に親しくなった数人の友人と同じように、2人も私と行動を共にする事が多くなって来ると同時に、頻繁にうちに遊びに来るようにもなりました。うちに来る友人には、うちにいる間中のべつ幕無しに Queen を聴かせ続けるのですが、この2人も例外ではありません。

イヤと言うほど班ノートで語られた Queen を実際にイヤと言うほど耳に入れられて、彼らの中では「これがそうか」と言う思いと共に徐々に Queen を聴こうとする意識が芽生え始めて来たようです。

これは行ける、と思ったのでしょうか、私はクラスでも益々所構わず Queen の名前を連呼するようになり、それは担任教師の耳にも当然入るようになります。Simon & Gerfunkel が大好きと言う担任は、とても口が悪いながらも気さくな先生と言う事で比較的生徒に好かれていて、私もタメ口をきくなどしながらちょっかいを出されたりしていました。

この頃 We are the Champions が大ヒットしていて、 Queen を知る多くの人達が自分たちの事をチャンピオンだなんて何と言う傲慢なバンドだ、とQueen を愚弄していたのですが、担任もそれに乗って「ちゃーんぴょん、何だお前あれ?」などとからかって来るようになり、挙げ句には「あれオカマバンドじゃないか、あんなのどこがいいんだよ、オカマ野郎」などと今だったら社会問題になりそうな台詞で愚弄し、私の「大川」と言う名前をついに卒業まで「オオカマ」と呼び続けていました。

続く…
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